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2005/05/07

電子辞書はなぜPCのコンテンツにならないのか?

Koujien_V4_EBXA日本では今から10年以上前,CD-ROMの普及期にEBXAなどの規格が作られ,いわゆる電子ブックEPWING規格の電子書籍が数多く出版されました.しかしこれら規格はオープンではなく,コンソーシアムに加入した企業にのみリーダやブラウザの配布が許されるという時代錯誤のものでした.幸いなことに規格を解読してブラウザをフリーソフトとして出版する試みがいくつかなされ,最後まで生き残っているのがDDwinで,私は現在でも広辞苑や研究者の新英和・和英中辞典をブラウズするときにお世話になっています.

しかし電子書籍のコンテンツとしての流通は下火になり,代わってコンテンツホルダーが活路を見出したのはモバイルブラウザにコンテンツを載せるという方向でした.実際,子供の進学祝としてモバイル電子辞書の人気が高まっています.これは日本特有の現象で,私には好ましいものと思えません.誤解を恐れずに言えば,日本ではキーボードの使いこなしが遅れていること,そしてターンキー(電源を入れるとすぐに使える)の統合化システムが好きという国民性がこの現象がはやる理由だと思います.

KenkyushaShinEiwaWaei_EBXA電子辞書は普段文章を読み書きするパソコンに搭載してこそ威力を発揮します.それは紙の上の読み書きに比べて格段の知的生産性の向上をもたらします.しかし日本ではパソコンで文書を読み書きすることがいまだに一般的ではなく,従って辞書もパソコンとは別の場面での使用が前提になっています.これが欧米だと,70才のおばあちゃんでもオフィスに勤めた経験があれば,キーボードをブラインドタッチでバシバシ打てるのが当たり前という文化基盤の差があります.そこでは,知りたい単語をマウスでクリックし瞬時に電子辞書で意味を調べる,ということがシームレスに行われています.これに対して日本では,いくらパソコンが普及したとはいえキーボード操作の敷居は依然高いのではないでしょうか?これがまず第一の理由ですが,これでは知的生産性の差は広がるばかりです.

二番目の理由はもっと深刻なものです.日本人はモジュール化された部品を自ら組み合わせてシステム化して使いこなすことが得意ではありません.それよりは出来合いの統合化されたシステムで細やかにチューニング・差別化されたものを,好みに合わせてシステムごと選び取って使うことを好みます.特にコンピュータではこの傾向が強く,ワープロ専用機がつい最近まで売られていたことが何よりの証拠です.アメリカではワープロ専用機は20年前に絶滅してしまいました.パソコン上に同機能のソフトが移植されたからです.専用機に比べると汎用機のパソコンははるかにいろいろな事が出来るのですが,そのためにはパソコンのオペレーティングシステムを熟知し,その上のアプリケーションソフト群を覚え,さらにはそのような知的作業の文化的基盤にまで踏み込んだ理解が必要となります.そこまで覚えるのは耐えられない,それならば自分が今やりたいことだけを気楽にやれる専用機を使おう,という行動に走るのも無理ありません.

しかし,モジュール化された部品を組み合わせて多様なニーズにすばやく応えるというシステム化の利点を理解できなかったことが,IT革命の各局面で日本が大きく出遅れた主要な原因の一つです.モジュール化については産業政策上の意味が非常に大きいのですが,それには日本人のこのような性向が強く反映されていることも十分に考慮すべきでしょう.モジュール化に慣れろといってもそれは一つの文化を波及させるのと同じで長い時間がかかります.当面はモジュール化の脅威とどうにか付き合っていくしかありません.電子辞書はそのための良い題材になるはずと思ったのですが,現状をみるとなかなか悲観的です.

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受信: 2009/02/14 13:10

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