権力構造のホンネを説いて庶民に逃走を迫る
誇りを持って戦争から逃げろ! (新書) - 中山 治 (著)
中山治さんの著作は過去にも一度取り上げたことがあります.それは日本人が戦略的思考ができないことを取り上げて解説したものでした.今回のこの本は目を引くタイトルだったので買ってみたのですが,著者の名前を思い出してさらに興味を覚えました.
この本はまず,憲法改正に進もうとしている日本人に対して,それがどのような結果をもたらすのか,美辞麗句の裏側にどのような意図が隠されており,それによって誰が得をし誰が損をするのかを戦略論的に解説します.そしてアメリカの属国の軍隊として前線に送られることになる日本の庶民に対し,あまり聞き慣れない "逃走権" を行使しろと説きます.これはどんな国のどんな国民であっても(たとえ軍人であっても)侵されることのない自然権の一つであり,権力者にとっては行使されるのを最も恐れ忌み嫌う権利であると言います.要するに,戦争に巻き込まれそうになったり戦争に行かされそうになったら必死で逃げよ,たとえ国を捨ててでも,と言うのです.
本書の構成は実はそれほど単純ではなく,今日の国際社会の状況では日本は軽武装中立で行くべきなのだがそれは当分無理なので,憲法改正が行われ戦場に送られそうになったら,自然権である逃走権と反撃権のうち逃走権を行使しろ,という論理の組み立てになっています.
これ以外にも昨今の右派の言説に対する強烈な反論がちりばめられているのですが,それが著者自身が右翼そして左翼としてかつて活動した経験に基づいているだけに,なかなか迫力があります.目に留まったキーワードだけ取り上げても
- 庶民は騙されて戦場に行く
- 「一国平和主義」が日本の伝統
- 先制核攻撃を受ける根拠を日本自身が作り出している
- 戦場に「書斎武士道」など存在しない
- 「健軍の本義」がない
- 「逃げる」にも覚悟と訓練が必要
- 応援愛国心と戦争愛国心を混同するな
- 脱政治イデオロギーのススメ
のようなものがあります.おしなべて昨今の右派文化人の言動が強烈に批判されていることが特徴的ですが,これは憲法改正への動きに対する著者の危機感の表れでもあるのでしょう.
著者の国際戦略論やリアリストぶりには私はおおむね賛成できます.このような権力構造のホンネが解説された本が手軽に読めることも大いに歓迎します.しかし私が不満を持ったのは,逃げろと言い,しかも逃げるには覚悟と訓練が必要と言うわりには,その具体的な手練手管が述べられていない点です.2000年台前半,日本が金融危機から脱出できずにこのまま経済的に衰退していくのではないかという危機感が盛り上がった時期に,日本の富裕層は国外に資産の一部を移し始めました.日本でも持てる者はいつでも逃げられるように備えているのです.中国人は子供を世界に分散して住まわせ,いざというときに備えています.中東では財産の一部をいつでも持ち出せる貴金属にしています.このような手段を一つ一つ解説し,それに備えることを説いてほしかったと思います.それがあってこそリアリズムに徹した議論が可能です.
自分自身と家族が外国語を使いこなせること,財産を世界に分散して持っていること,いざというときに頼れる良心的な友人知人の国際的なネットワークを持っていること,などをすぐに思いつきますが,庶民にとってこれらを実現することは容易ではありません.だからこそそれらを実現するための方法を親切に解説してほしかった.それがリアリズムに徹して生きるということに他ならないと思います.
いずれにせよ,今までこういう考え方をした経験がない人にとっては,目から何枚も鱗が落ちること請け合いの面白い本です.
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