最晩年の珠玉の作品
勝利 (ハヤカワ・ミステリ文庫) (文庫) - ディック・フランシス (著),菊池 光 (翻訳)
ディック・フランシスの競馬シリーズは,私が学生の頃からの愛読書であり,特に主人公の性格設定には最大限の敬意を払ってきたものです.ディック・フランシスは自らが騎手であったため,イギリスの競馬会は知り尽くしていたわけですが,それだけではこれほどの奥の深いミステリーの作品群を世に出すことはできなかったはずです.やはり,騎手としての才能とは全く別の,ミステリー作家としての才能を持っていたと考えざるを得ません.神は,最高のレベルで二物を与え賜うたのです.
このブログでは,これまでに2回だけ (*1 *2) 取り上げたことがありますが,著者がすでに晩年のため,今後多くの作品を期待することができません.従って,最近は一作一作を大変貴重な思いで,半ば悲痛な思いで読み進んでいます.それにしても,作品の質の高さには毎回驚嘆を禁じえません.
今回の主人公はガラス工芸職人です.これまでの競馬シリーズでも,主人公は何らかのプロフェッショナルであり,その職人魂が主人公の性格設定と強い関連を持っていたのですが,今回もその「お約束」は裏切られることはありませんでした.ガラス工芸というと,一般には馴染みの無い職業ですが,材料に関する化学の知識と,造形に対する才能が必要な職業ということが読み進むうちにわかります.特に,一流になるためには謙虚さを保ち思い上がらないこと,という叔父の言いつけは,騎手を初めとするプロフェッショナルな職人全てに共通する規範なのでしょう.
今回の悪役は,なんと凶暴な性格を持つ女性,とその取り巻きの小粒の男性たちです.競馬シリーズを読むたびに,本当にこのような破綻した人格を持つ人々がいるのだろうか?と疑問に思うことがありましたが,人生での経験を積むにつれ,やはりそのような人々は本当にいるのだ,と思うようになりました.現実は残酷ですね.
長年,この競馬シリーズの翻訳を手がけてこられた菊池光氏が亡くなられたそうで,この作品が最後の翻訳になるとのこと.「・・・のだ」という独特の翻訳調の文体が日本のファンを魅了し惹きつけた功績は大いに讃えられるべきです.なんと,ディック・フランシス自身が,ミステリマガジンに哀悼の言葉を寄せているそうですから,日本での成功は著者自身にとっても重要なことだったのでしょう.
この作品は2000年に書かれ,妻の死とともにこれが絶筆になるのではないかと言われていたのですが,2006年,2007年と続けて新作が発表されました.高齢にもかかわらず,再起した著者の精神力にはただただ脱帽するばかりです.
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