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2008/02/10

戦略的撤退のケーススタディ集

撤退の研究―時機を得た戦略の転換 (単行本) - 森田 松太郎 (著),杉之尾 宜生 (著)

書店で撤退の研究というタイトルが目立ったので,中味もろくに確かめずに思わず買ってしまいました.内容は,軍事篇と企業篇が交互に並んだオムニバス形式のもので,過去の戦史と企業経営の歴史を題材にとり,撤退に関するいくつかのキーワードを軸に話を進めています.

最も面白かったのは,キスカ島撤退作戦と,日露戦争における乃木希典の戦術に関する名誉回復の二つで,いずれも軍事篇です.前者は有名な撤退作戦で,幸運にも恵まれたのですが,有能な司令官が作戦を行うとこのようなことも可能だという稀有な記録です.古代からの古今東西の戦史の中でも光り輝く帝国海軍の金字塔です.

後者は司馬遼太郎の "坂の上の雲" において徹底的に批判された乃木大将の戦術の無能さに対する反論で,理路整然と乃木を擁護する内容です.これまで坂の上の雲の内容を史実に準ずるものと思っていた私にとって,これは大変に反省を強いられる内容でした.

日露戦争に関しては,別のエピソードで,児玉源太郎大山巌ら陸軍の司令官たちが,戦争のこれ以上の継続は無理であり,戦略的目的達成のためには講和で有利な条件を引き出すことこそ重要と考えていたことが紹介されます.戦争は政治戦略のための手段に過ぎないという考え方を,明治の軍人たちは素養としていたことは大変興味深く,その後の昭和の帝国陸軍の偏狭さとの対比が引き立ちます.

特に,日露戦争の戦史の編纂において,都合の悪い事実がほとんど隠蔽されたままになったことは,その後の帝国陸軍の戦術理論を著しく歪め,日中戦争や太平洋戦争において大敗を喫する遠因となったことが詳細に検証されている点は素晴らしいです.これは企業経営において失敗から何をどうやって学ぶかに直結する重要な点です.組織において,失敗をどう記録し,どう反省し,何を教訓として学び,記憶し語り継いでいくのか,身につまされる話です.

これら軍事篇のエピソードに比べると,企業篇は掘り下げが足りず,消化不良というか,そもそも素材の質・量の蒐集が足りません.企業経営における撤退にも,色々な目的,局面,葛藤,そして人間的なドラマがあるはずなのですが,いずれのエピソードにおいても,通り一遍の説明だけで,異論,反論を含めた十分な内容になっていないのが大変残念です.

戦略的撤退の研究においては,この著者らが表現したような方法論のほかに,ゲーム理論に則った経済合理性からの人間行動学という方法論もあると思います.今後はそのような研究も増えていくことと思います.どちらかが他方より優れているということは言えないと思いますが,お互い補い合って,戦略的な決断における合理性と人間の行動についての研究が進むことを期待します.

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コメント

非常に興味深いテーマですね。
多くの日本人は未だにビジネスの世界で,玉砕志向が強いようで、戦略的撤退と言うオプションを持ち合わせていないように思います。
つまり何かプロジェクトを起こすときは、達成目標のポイントと同時に、撤退リミットの設定が必要なのでしょうね。

投稿: umex@白梅亭 | 2008/02/10 17:49

つい最近,東芝が HD-DVD 事業からの撤退を宣言しましたが,これは典型的な戦略的撤退の一例です.このような冷徹な決断を下した東芝の西田社長には敬意を表します.ただし,現場での混乱,営業部隊の苦労はこれから始まるわけで,その現場の労苦への配慮は社内的にきちんとなされるべきです.

また,取引先や一般消費者への十分な説明と補償も,これまた大きな課題として残っています.戦略とは何かを犠牲にすることなので,犠牲にされたほうへの配慮が不十分だと,これでつまづくことになりかねません.

投稿: 俊(とし) | 2008/02/23 21:03

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