一気に読める,知と理の限界
理性の限界――不可能性・不確定性・不完全性(講談社現代新書 #1948)(新書) - 高橋 昌一郎(著)
気楽に読めて面白く,かつ深みのある本です.現代科学の最前線で,その科学自身の限界についてこれほど深い研究が行われていることに関して,敬意を払いたいと思います.
著者が紹介する理性の限界には三種類あります.まずは,完全に民主的な意思決定手段は原理的に存在し得ないことを証明したアロウの不可能性定理.これは民主主義にロマンを感じている人たちには残酷な話ですが,民主的な意思決定とは何かを定義する部分にわずかな疑義は残るものの,大筋では合意せざるを得ない結論です.この原理の派生系として,一見民主的に見える投票による意思決定も,実は選挙制度の細部によって結果を左右することが出来る,というのは大変重要な結論です.日本の小選挙区制,アメリカの大統領選挙の選挙人制度などがすぐに思いつきますね.
次は,量子力学でおなじみのハイゼンベルクの不確定性原理.先日の書評 "多世界解釈の入門書" でも取り上げました.これは,ともすると人間の観測手段の不完全さによって粒子の位置や運動量の不確定さが残るのだと誤解している人がいますが,実はそうではありません.たとえ完全無欠のラプラスの悪魔や,はたまた完全無欠の神が誤差ゼロの観測を行ったとしても,粒子の位置や運動量には確定できない,というところにこの原理の凄みがあるのです.そう,位置や運動量は常に揺らいでおり,粒子の位置や運動量は点ではなくて確率的な広がりを持っているのです.古典物理の素養のある人が電子の二重スリット実験の結果を知ると背筋が寒くなるのは,それが私たちの日常感覚からあまりにかけ離れているからですが,しかしこれが宇宙の現実なのです.以下の YouTube のビデオは大変秀逸な解説になっています.
そして,この著者の最後の極め付きは,もちろんゲーデルの不完全性定理です.この本は素人にとってぎりぎり理解できる範囲の記述になっていますので,一般読者にとっても何とか読み進められると思います.私自身は,大学教養課程の論理学の講義の中で,まず一階述語論理の完全性定理の証明を学んだ後で,二階述語論理の系で不完全性定理の厳密な証明までやったのですが,なんとも不思議な感覚を覚えました.これこそ理(ことわり)の限界だと感じたものです.何しろ公理系から組み立てられた体系の中に,その体系では真偽が決定できないものが含まれるというのですから,これもある種のおぞましさを含んでいると思います.この本を読んでも同様の感覚を味わえると思います.
全体としては,大変気楽に読めるように工夫されており,通勤電車の中でも一気に読めます.それでいて現代科学の根幹に関わる議論が行われているのが凄いところ.万人にお勧めできる出色の出来です.
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