環境倫理学による思想の大転回
環境倫理学のすすめ(丸善ライブラリー)(新書) - 加藤 尚武(著)
すでに15年以上も前の著作であり,同じ著者による続編 新・環境倫理学のすすめ も出ているのですが,それでもこの本の価値が減じることはありません.私はかねてより,野生生物保護から出発して広い意味での環境保護の思想に広く触れてきたつもりですが,それでもその考え方を突き詰めて考えるとどのようなことになるのかというところには思いが至りませんでした.しかし,この本を読むと環境に関する倫理というものが私たちに突きつける様々な課題をよく整理することが出来ます.この本が私たちに明示する課題は以下の通りです.
(1) | 自然の生存権の問題 |
---|---|
人間以外に権利概念を拡張できるか? | |
そもそも権利とは何か? | |
(2) | 世代間倫理の問題 |
環境問題に民主主義は機能するか? | |
共時的決定と通時的決定の得失 | |
(3) | 地球全体主義は成立するか? |
個別利害を超えた全体最適を実現できるか? | |
選択の自由度を現世代と未来世代双方に保証できるか? |
そして,これらの問題を突き詰めて考えていくと,私たちの価値の拠り所となる概念,すなわち,自由,平等,正義,権利に根本的な再検討を加える必要が出てきたり,また近代化,保守主義,進歩主義というような歴史の基礎概念にも,疑問符をつけて再検討に附さざるを得なくなることがわかってきます.
まず(1)の自然の生存権は人間中心主義の否定と言い換えても良いものですが,しかし西洋思想の根幹を成す聖書との相性が極めて悪く,西洋はこの克服に苦労してきました.しかし西洋においても,聖書以前には人間と自然を同列に置くアニミズム的な思想があったのではないかと想像しています.東洋はどうかというと,心理的な障壁は低いものの,実利的な面では人間を優先することは暗黙のうちに行われてきました.近年の自然保護思想との相性が良いのですが,権利とは何か?という面からも掘り下げが必要だと著者は主張しています.
次の(2)の問題は大変深刻です.次の世代が私たちと同じような自由と豊かさを享受できるためには,私たちは再生可能な資源のみを消費しなければならない,という命題は非常に強烈で重みがあります.次の世代はさらに次の世代に対して同じ命題を背負いますので,これが守られるかぎりは数学的帰納法によりこの命題に対する世代間倫理は守られることになります.しかしながら,現在の私たちは "持続可能な成長" という明らかな欺瞞で問題の深刻さを見て見ぬ振りをしているわけで,今の速度で化石燃料を消費していけば,3世代から4世代以降の人類は,いざという場合にも化石燃料を燃やして得られる効用を享受できなくなります.再生可能エネルギーだけで社会を維持するためには,それまでに増えきった人口を劇的に減らさなければならず,飢餓と紛争が地球上いたるところにはびこることでしょう.
最後の(3)の問題も(2)と同様に深刻です.未来世代の選択の自由を守るために,現世代の選択の自由を制限することは許されるでしょうか?あるいは発展途上国の経済発展を助けるために,先進工業国は生活水準を落として自らの二酸化炭素排出量を減らすべきでしょうか?人類はそのような選択に耐えられるでしょうか?あるいはこのような選択を回避するための新たな方策が原理的にあり得るのでしょうか?
私はこの本を10年ぶりで再読しましたが,大変新鮮な驚きを持って各章を読み進むことが出来ました.哲学や倫理の時間を越えた普遍性の力を改めて思い知らされます.今回特に心を動かされたのは,(2)に関連した通時的決定システムと共時的決定システムの利害得失,それに関連しますが本来の保守主義の見直しです.通時的決定とは,社会がその共同体を長期安定に維持するために長い試行錯誤を通じて獲得した沢山の社会的なタブーや掟や決まりごとです.封建時代を想像するとわかりやすいでしょう.これに対して共時的決定とは,ある時代における生存者の間のみで同意された事柄で,過去世代とも未来世代とも合意を図ることを意図しておらず,下手をするとその世代のみの利己的な決定に陥る恐れがあります.現代の化石燃料文明は実はこの共時的決定の結果と言えるでしょう.しかし,私たちは祖先やまだ生まれていない未来世代と合意のための現実の交渉をすることはできません.出来ることは,彼らの気持ちをおもんばかって自らの意思決定に修正を加えることだけです.
私は長い間封建的価値観には嫌悪感を持ち,進歩主義を信奉してきた傾向があります.しかし,保守主義には人類の長い経験から得られた智慧が込められており,地球環境問題を論じる際には,むしろ尊重されるべき考え方が含まれているということをこの本から学びました.
本来の保守主義ならば,再生可能な薪や炭の文明から再生不可能な化石燃料の文明への移行を否定したはずです.しかし進歩主義はそれを喜々と受け入れます.ここに近代主義に対する疑問が沸き起こりますが,しかし問題はそこに留まらず,人間の知性の限界にまで思いを馳せざるを得なくなって悲しくなります.日本の場合に話がややこしいのは,環境保護に関しては,政治的な保守が進歩主義を採り,政治的な革新が保守主義を採っているというねじれがあることで,これにはよく注意しなければなりません.
21世紀は,人類の知性が試されている非常にクリティカルな時代だと思います.私も明確な解決案を持ち合わせていないので偉そうなことは言えないのですが,人類知性の格上げが出来なければ,世界中で地域紛争が増え,飢餓と疫病がはびこり,しかも地球の平均気温はじりじりと上がってますます飢餓に拍車がかかり,下手をすると気候システムに大変動が生じて次の氷河期の引き金を早めに引くことにもなりかねません.ここ50年ほどが残された時間です.虚無主義の立場に立てば,そうやって人類が自ら滅んだ後に新たな地球生態系が再生されるとも言えますし,定量的な虚無主義とでも言えばよいのでしょうか,人類の人口をどの程度まで減らせば地球は持続可能かという議論もできるとは思うのですが,現実解があるようには思えません.
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