人類の出アフリカ記に感動
日本人になった祖先たち―DNAから解明するその多元的構造(NHKブックス)(単行本) - 篠田 謙一(著)
知的感動のみならず情動的感動をも味わうことが出来た本として,私が今年読んだ本の中でベストワンです.著者は医学部出身で大学の解剖学教室に籍を置き,古代人骨の DNA 分析による人類学の構築を目指している人.最近,国立科学博物館に移り,本格的に "分子人類学" に取り組んでいます.自らの成果を交えて最新の分子人類学の知見を紹介したのがこの本です.
分子人類学の分析手法のうち,著者が扱っているのはミトコンドリア DNA 分析というもので,細胞中のミトコンドリアの DNA 分析により,母系遺伝していく遺伝子の変異を分類,追跡することにより,人類集団がどのような年代にどのような経路を辿って地球に広がって行ったかを研究するものです.これとは別に,男系遺伝する Y 染色体による研究成果もバランスよく紹介されています.ちなみに,日本人の起源に関する Wikipedia の記事はこちら.
まず最初の驚きは,人類が10万年ほど前に初めてアフリカを出発したこと(出アフリカ).しかも出アフリカの時期は数万年に渡り,ルートも複数有りました.でもたったの10万年前だったのですね.つい昨日のことです.今日の様々な人種はそれから派生してきたものに過ぎません.人種間の遺伝的な差異は実は非常に小さく,その小さな差異を丹念に追いかけるのが分子人類学です.
人類の大移動の動機がどのようなものだったのか大変興味があります.この頃に気候がどうだったのか知りませんが,人口増大の圧力か,あるいは氷河期などの気候の大変動か,ここはもっと深く知りたいところ.おそらく,出アフリカ記には,無数のドラマとヒーローとヒロインがいたのではないでしょうか?
一方,アフリカに残った人類には出アフリカ以前からの変異の多様性の蓄積があり,実はアフリカの人々はその他の全ての地域の人々を合わせたよりも遺伝的多様性が大きいのだそうです.アフリカ人と一言では言えない多様性があるということですね.これに比べると,アフリカ以外に広がった人々は,アフリカ出身者のほんの一部の分派に過ぎません.
私はアフリカのサバンナの映像を見たりすると「ああ,私の祖先はここからやってきたのだ」と妙に郷愁に駆られることがあって,それを家人に話しては笑われていたのですが,この本を読んでますますアフリカに郷愁を抱くようになってしまいました.
次なる驚きは,ヨーロッパに進出した人類が,ある時期,別の人類のひとつであるネアンデルタール人と共生していたこと.ネアンデルタール人はその後何らかの理由で滅んでしまいました.人類との競争に負けてしまった可能性を感じます.つい最近まで私たちの祖先が近縁の別の人類と暮らしていたということを知ると,妙に胸が騒ぎ,もの悲しい気分にさせられます.
さらに驚くべきは,アジアでの人類の多様な分散です.インド,東南アジア,パプアニューギニア,オーストラリアには比較的早く到達しているのですが,北東アジアには南回りと北回りの二つのルートがあったらしく,そのルートの延長にはアメリカ大陸への移動があります.このあたりからこの本の主題である日本人の起源についての解説が始まります.ネタばらしになるのであまり詳細を記すことは止めますが,日本人は弥生時代以前に断続的に様々な人々がアジア各地から去来していった結果として,弥生時代以降一つの集団として定着してきたことが示されます.決して遺伝的に一様な集団が日本人として定着したわけではなく,東アジアの実に様々な遺伝子を日本人は持っているのです.アジアの人々との民族的な違いを強調するよりも,むしろ多くの遺伝子を共有していることを意識すべきだと著者は述べていますが,これは傾聴に値する主張だと思います.
しかも感動的なのは,母系遺伝するミトコンドリアの系統と,男系遺伝する Y 染色体の系統の両方を比較すると,日本には過去において,異民族同士の激しい征服や虐殺のような形跡が見当たらず,弥生時代の人々の渡来も平和裏に行われていた可能性が高い,ということです.一説によると,弥生時代の渡来人とは,中国大陸での戦乱を逃れてきた人々が渡ってきて,日本に稲作技術をもたらしたものだと言われています.中国大陸での春秋戦国時代の争乱と,そこから逃れてきた渡来人が平和裏に縄文人と共生し融合していったさまを比較,想像すると,今日の日本人の精神性の一部を理解できるような気がします.チンギスハーンによる中央アジアの征服や,スペイン人によるアンデス先住民の虐殺などにより,征服者の男系遺伝子が大量に今日の人々に見られることに比べると,なんと平和的な民族の成り立ちか,これは日本人が誇りに思っても良いものではないでしょうか?
著者が繰り返し主張していることは,日本人の遺伝的な成り立ちの重層性です.日本人は決して単一のハプログループから成り立っているのではなく,数万年の長さに渡り,幾度と無く繰り返し様々な民族が繰り返しやって来ては一部は去ることをくり返して,ようやく1,500年ほど前,ついさきほどから今日の民族集団が定着したに過ぎません.それ以降の民族集団を日本人と定義して,日本を単一民族国家と呼ぶことは可能でしょうが,人類学的,遺伝的には日本人はアジアの様々な人々と多くの遺伝子を共有しているのです.この事実を,中国,韓国,他のアジアの人々とも共有していくべきではないでしょうか?大変豊かな共生の考え方を示してもらったと感動しています.
個人的には,氷河期にベーリング陸橋を渡り,アメリカ大陸最南端までわずか1,000年ほどで到達した集団の歩みにも大変強い興味を惹かれています.別の著者の別の著作になるかもしれませんが,期待して待つことにしましょう.
| 固定リンク | 0
「書籍・雑誌」カテゴリの記事
- 江戸の情緒を深く味わえる(2022.05.02)
- ついに読了!一般相対性理論(2019.10.31)
- 現代的に再構成された熱力学(2019.06.03)
- 引退して味わう特殊相対性理論(2018.09.16)
- 気候変動の標準教科書(2015.06.21)
コメント
大変面白そうですね
早速、私も読んでみます
アジアの10日ばかりの出張から帰ってきた日、
新宿の横断歩道で
何気に歩いていく人たちを見ていた時に
この人は、韓国、
この人は、南の方、フィリピンかインドネシア、
この人は、モンゴル
ほかに、中国、タイなどと
道行く人が、すべてアジア人に見えたことがあります
また東北、秋田、新潟の色白の女性などが
ロシア系の遺伝子を持っているといった
テレビ番組が放送されて、
なるほど、東北の人の色の白さは
そのせいだよね、と変に納得していました
私自身も、飛行機の中で
フライトアテンダントから、韓国人や中国人に
間違えられたことがあります
私の席の前まで、日本語で話しかけてきながら
私には、突然中国語や韓国語で話しかけてきました
私の家内についても、
これも飛行機の中ですが
”あなたの奥さんは、フィリピン人ですか?”
と、フィリピンの人から聞かれたことがあります
ほんとに、いろいろ重なっているんでしょうね
投稿: いちろう | 2008/12/25 10:22
いちろうさん,お久しぶりです.
日本人のハプログループの多様性は,この本の中で詳しく解説されていますが,日本は極東の言わばどん詰まりの島々なので,どうしても「溜まって」しまうのでしょうか?
私も,毎日の通勤の中で,アジアの様々な人種の日本人に出会っています.
投稿: 俊(とし) | 2008/12/25 22:50