深川不動のわらじの願かけ
門前仲町を散歩してきました.訪れたのは初めて,で,予備知識も何にも無くていきなり行ったのですが,感想としてはまあまあ.富岡八幡宮の別当永代寺の門前町として栄えた街,江戸の風情の余韻を感じさせる深川の中心地と言ったほうが良いかもしれません.
地下鉄東西線の門前仲町駅で下車すると,いきなり成田山深川不動堂の参道に出ます.このお不動さんの縁起はなかなか複雑です.以下,Wikipedia の引き写しです.明治より前の神仏習合が許されていた時代,神社付属のお寺という奇妙なものが存在していました.これが別当寺と呼ばれるものです.神宮寺や神護寺とも呼ばれました.富岡八幡宮自体が,八幡神という神仏習合のシンボル的な祭神であったため,その別当寺として永代寺というお寺が深川に置かれました.このお寺は江戸時代に大変栄え,その門前町として門前仲町が生まれました.特に,江戸の町では成田山の不動明王の人気が高まり,それを江戸で拝観したいという機運が高まり,成田山の本尊の出張開帳が永代寺の境内でとりおこなわれ大変な人気を博したのだそうです.ところが,明治に入り神仏分離令が発せられ,永代寺はなんと廃寺になってしまいます.しかし,不動尊信仰は止むことがなく,明治3年(1870年)に深川不動堂としての存続が認められ,今に至っているとのことです.しかし成田山の別院なので,以前の記事で書いたように神田明神とは相性が悪いのでしょうね.昔の信者はどのように使い分けたのでしょう?
こういうことも何も知らずに深川不動の境内に入ろうとしてまず気が付いたのは,大変立派な寄進された石塀です.関東大震災や東京大空襲で二度にわたって焼失されたお堂を再建するときに講によって寄進されたものと思われますが,東京各地の信者たちがこれ見よがしに家紋と住所名前を掘り込んだ石版を寄進して並べているのが大変印象的です.彫られた寄進者の住所を読むと,日本橋區とか京橋區,本郷區,赤坂區,などの地名が読み取れますが,いずれの時点で寄進されたのかはこれだけではわかりません.
次に,境内に足を踏み入れて目立つのは巨大なわらじ.これには願かけの絵馬やわらじが無数にぶら下げられています.これは本堂に登る階段の両側にありますので,大変目立ちます.
本堂自体は大変近代的な建物で,各種の仏神が何階にも分かれてずらりと置かれ,それぞれに参拝して護摩木などを奉納できるようになっています.仏像の前にはそれぞれ小さな賽銭箱が置かれているので,全体としては膨大な数.また本来は関係ないはずの四国八十八箇所とか七福神などの展示もあって,ちょっと民間信仰のデパート的ですが,これも下町っぽくていいのかも.私が訪れたのは週末の朝早くだったこともあって,人気は無くがらんとしていました.縁日が立つ日にはもっと賑わうのではないかと思います.参道は "人情深川ご利益通り" というそうで,面白そうな食べ物屋のお店もちらほら.なかにはかなり有名なお店もあるのだとか.私はそれらしい深川丼のお店があるのではないかと思ったのですが,私が歩いた時間帯にはお店を開けていませんでしたので,それとはわかりませんでした.残念.
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