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2009/12/19

仏教哲学の入門本にしては・・・

入門 哲学としての仏教(講談社現代新書) - 竹村 牧男(著)

著者によれば,仏教が宗教であることには疑いの余地は無いのだが,宗教を超えた深い哲学的思索が沢山含まれており,この本は専らその哲学的側面を解説した本だと前置きします.それでは宗教と哲学の違いはそもそも何かという問いに対しては,西田幾太郎を引用して,宗教は "己がいかに生きるべきか" という行動規範の問いに答えるためのものであるが,哲学は "己とは何か" という存在そのものに対する問いに答えるものである,と規定します.そして,仏教には実は後者に対する問いと答えが多く含まれているというのです.しかもその内容が,絶対性を否定した関係性による世界観で貫かれているというところから話が始まります.

内容は広い範囲を含み,それぞれの項目に対して大乗仏教の代表的な経典から引用しながら解説を行っていくという構成になっています.しかし私たち現代の日本人にとっては,仏教の経典の引用を読まされても,古語の書き言葉なのでまるでちんぷんかんぷん,しかも多くの単語が現代の日常用語と異なる意味で使われているために,さらに理解に混乱をきたします.もう少し平易な解説法は無かったのだろうかと思います.どのような読者層を念頭において執筆されたのか疑問が残ります.それでも昔は "読書百遍意自通" などと言って暗記するうちに,次第に意味がわかってきたのでしょう.

著者は折に触れて,西洋哲学が現代になってようやくたどり着くはるか前に,仏教者たちは現代的な哲学の概念に到達してそこを深く思索していた,なんとモダンなことかと自慢します.しかし,私の理解では,ギリシア時代から膨大な量の思索と論争と実証の果てに西洋哲学や科学の今日の姿があります.特に近代以降は,古典的な西洋哲学に対する深刻な反省と,それを乗り越えようとする様々な努力が続けられ,その過程で東洋哲学や仏教の再発見も進みました.しかもそれは常に公開の場での厳しい論争や論証を経て鍛えられていくというプロセスによっています.

例として適当でないかもしれませんが,"ゼノンのパラドックス" は数量や無限という概念に対する格好の題材を提供しましたが,それは2,000年以上経った近代数学において見事に克服されたのです.私の理解では,ギリシア時代には,計測(思考)回数が無限になる場合の計量ができなかった,ということに尽きます.これは近代数学では級数の収束という概念で完全に解決されており,今では高校の数学でも扱われているほどです.

翻って東洋哲学,その代表としての仏教では,今日どのような努力がされ,どのように古典に含まれていた課題が克服されてきたのでしょうか?著者は,仏教はずっと以前から現代哲学の概念に到達していたと言ってはばからないので,この問いに対する言及は無いのですが,どんな学問にだって課題が無いはずはありません.著者は,この本の末尾に宗教としての仏教,それも現代の仏教に対する反省と批判を書いていますが,哲学としての仏教に対しても同様のことをして欲しかったと思います.

またより本質的なことですが,仏教は個人の努力によって涅槃の境地に達し,成仏する(仏者となる)ことが最終目的であるために,その行為は非常に個人的なものです.他者との議論によって真実を探っていくという西洋の手法とは異なり,専ら内省的で孤独な思索によっているので,その外部との関係性はどうしても弱くなってしまいます.このあたりは今日の仏教においての最大の課題であるように思います.キリスト教会に行くと,入り口付近にはおびただしい数の社会改革運動や開発援助団体の張り紙があって,運動への参加を募っていますが,日本のお寺に行ってもそのようなものはほとんど目にしません.

さて,これは私の経験による予断に基づく余談ですが,平易な言葉で書かれている哲学書をあまり見たことがありません.一つ一つの文がやたらと長く,修飾句だらけで,関係代名詞が乱用されて単語間の指示系統があまりに複雑,という欠点を持っています.現代的な文章作法ではまず落第となるような日本語が書かれた本が堂々と売られているのです.私は以前,フランスの有名な哲学書であるジル・ドゥルーズフェリックス・ガタリによる "千のプラトー (Mille Plateaux)" を一ページも読めずに放り出したことがあります.これは極端な例かもしれませんが,それくらい哲学書は部外者を寄せ付けない難解さを持っています.この点を哲学者は反省しているのでしょうか?どうもそうは思えません.高度な思索は複雑な言葉でしか表せないと開き直っているのではないでしょうか?これは早く止めてほしいものです.この本に限って言えば,教典の引用部分以外は平易な現代日本語で書かれているので,それほどの不満はありません.

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