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2010/01/31

東京は江戸城を基盤に成り立った

江戸城を歩く(ヴィジュアル版)(祥伝社新書 161) - 黒田 涼 (著)

江戸城というものは,現在の皇居の中に江戸時代にあったお城,くらいの理解しかなかった私にとって,江戸城の広がりと機能を詳しく解説してある本書は大変良いめぐり会いでした.

まず話は江戸城外縁の石垣の遺構探しから始まります.虎ノ門にこのような石垣の遺構があるとは全くの驚き.江戸城はこんなところにも広がっていたのかと驚かされます.石垣は東京都心の至る所にあり,飯田橋あたりにはまだかなり大規模な遺構が残っています.このような遺構を訪ねて歩くのは大変楽しそうです.そして著者の主張は,現代の東京といえどもその基礎は江戸であり,その江戸の基盤は江戸城であるというものです.確かにうなずける点が多々あります.

次に驚いたのは江戸城に引き込まれた水道.水は生活になくてはならないものですが,江戸は海辺の低湿地だったので,真水の良い井戸を掘ることができませんでした.そこで神田川から水を引き,水道橋を経て城内に水道が引かれました.さらに驚いたのは,この水道のネットワーク.大名や旗本の住む地区にもこの水道のネットワークが築かれていたのです.しかもこの水道のネットワークは地下に埋設されており,住民は所々に設けられた井戸のような立坑からこの水道の水を汲んでいました.時代劇で井戸から水を汲んでいるように見えるものは,実際には水道から水を汲んでいたのだそうです.なんとまあびっくりですね!

日本橋銀座の成り立ちも面白いですし,溜池汐留のこともへぇー!に連続.

そして圧巻は江戸城のかつてお城そのものがあったあたりの解説です.遺構満載で,歩き回るには半日はかかろうかと思われます.現在でも都心の非常に整ったオフィス街の借景として大変高い価値があるところですが,もともとはここに二の丸天守があった!とは驚き.しかもこの天守は大変短命で,明暦の大火であえなく消失.その後も必要性に乏しく財政を圧迫するとの理由で天守閣は再建されていません.今日まで350年ほど天守は不在のままです.

江戸の町の造営は全国の大名に課せられた仕事で,各地の大名たちは大変な財政負担を背負いながら江戸の町の建設に汗をかきました.今日では考えられないような統治システムですが,つい先ほどまで戦国時代だったことを考えると,天下統一を果たした将軍に忠誠を尽くすことは当然だったのかもしれません.今では遺構となった石垣の石には,ところどころ造営を担当した大名の名前が刻まれているそうです.これも非常に面白いですね.

毎日江戸城のすぐ近くに通勤して仕事をしている者にとって,この本に書いてあることは他人ごととは思えません.私が机を置いているオフィスのあたりは,江戸の内堀のすぐ外側で,おそらく旧日本橋川の船着き場に近かったはず.物資を積んだ舟が行き交い,荷役の沖仲仕たちの声が喧しかったのではないか?と想像するのも楽しいものです.

なお,この記事から新しいマシンにインストールした Windows 7 でこのブログを書いています.エディタは悩んだ末に WZ Editor 6.0.74 を使用中です.HTML の編集機能がやや使いづらいのですが,これは慣れの問題もあるのでしばらく様子を見ることにしようと思います.

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コメント

俊さん

本郷三丁目の交差点にある小間物屋の「かねやす」がありますが、「本郷もかねやすまでは江戸の内」という川柳があって、古い江戸市中は非常に狭かったのですね。

文政年間に、「朱引図」で江戸の範囲が示されていますが、それでも今の北千住、大井町、王子、中野は江戸の外です。

投稿: きたきつね | 2010/02/04 23:47

きたきつねさん,

この「かねやす」についてはいろいろとエピソードがあるようで,もともとは「兼康」と漢字表記だったのですが,元祖争いがあり,町奉行によって「かねやす」とかな表記するように裁定が下って,現在に至っているそうです.

投稿: 俊(とし) | 2010/02/05 00:15

昨日,このかねやすの前を通ったら,ちゃんとこの川柳が大書されたプレートがお店の壁に埋め込まれていました.

まあ,江戸の城下は意外と狭かったということは言えると思います.しかし,明暦の大火以降に造成された江戸のニュータウンである深川などを含めていくと,かなりの面積になることは確かです.今の東京の東半分は江戸だったと言えるのではないでしょうか?

投稿: 俊(とし) | 2010/02/17 23:25

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