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2010/02/07

日本人は大きなものづくりに慣れていない

昨日,2010年2月6日の朝日新聞に,建築家隈研吾さんへの長文のインタビュー記事が掲載されましたが,その中で私の目を引いたのがこのブログ記事のタイトルにした言葉.少し引用すると以下のようになります.

汐留など東京の再開発はほとんど使い捨て型です.(中略)長期的な都市計画ビジョンやその土地に即した公共空間もインフラ整備もない.日本人の勇気のなさ,大きなものづくりに慣れていないことが如実に表れています.

このインタビュー記事のタイトルは "土地に根ざす建築".なかなか良い響きですね.しかし私が気になっているのは,"日本人の勇気のなさ,大きなものづくりに慣れていないことが如実に表れています" という一文です.そうかなぁ?それは明治以降,国の近代化のために大急ぎで色々なものを作り替えなければならなかったことと,第二次大戦による国富の喪失の中から,その場しのぎ的にでも国を再構築しなければならなかったという,ここ100年ほどの短期的な現象ではないのか?という疑問を感じます.

近世の例では,つい最近このブログに書いた江戸城と江戸の町の都市計画があります.大河の付け替えまでを含む世界史にも稀な巨大都市計画は,家康において構想され,歴代の幕府と有力大名たちの詳細設計と労役の提供によって成し遂げられた "大きなものづくり" の典型ではないでしょうか?これも最近紹介したオスマンのパリ改造よりもスケールの大きな物語ではないかと思います.

古代の例でいうと,平城京平安京があります.中国のコピーに過ぎないという評価もあるでしょうが,城塞都市が基本の中国の長安などと比較すると,日本オリジナルの要素がかなり含まれているそうです.また大仏殿の造営などは,国民総動員的に地方から資材や労役を徴発するなど相当無理をしたものですが,仏法によって国を統治するというビジョンは非常に明確でした.

現代はどうでしょう?日本は戦後ひたすら低価格高品質のものづくりにまい進し,そうして作った工業製品を世界に輸出することで生き延びてきた国です.しかし,モノづくりの重心は日本以外のアジアの国々に移りつつあります.その時にこそ,ビジネスモデルの転換を含む "大きなものづくり" の構想力が試されるのですが,今のところ,戦後のものづくりの成功体験を思想のバックボーンとして持つ経営者や官僚や政治家たちに構想の変革を見出すことはできていません.欧米の先進企業が新たなビジネスモデルに基づく変革を遂げて高収益を維持しているのを見るにつけ,彼我の差はどこから来るのだろうと思わざるを得ません.

こういう違和感を建築家の立場で感じ取り,新たな道を探っている一人が隈研吾さんなのだろうと思います.古代や江戸時代とは問題の中身も質も全く異なりますし,新たな質の文明を作り出す,それも今の資本主義文明から大きな混乱や犠牲なしに移行できるような詳細設計をしながら,というのは至難の業です.それでも,こういう問題を建築によって可視化して,私たちの眼前に提起してくれる能力は非常に貴重なものです.

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