夕暮れ時の田んぼで
昨日ポストした記事の続きです.夕暮れ時,我が家の真下の田んぼではカルガモが4羽,何かをついばんで泳いでいました.この季節はまだ稲の背丈が低いので,カルガモもかなり自由に田んぼの中を泳ぎまわることができます.
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昨日ポストした記事の続きです.夕暮れ時,我が家の真下の田んぼではカルガモが4羽,何かをついばんで泳いでいました.この季節はまだ稲の背丈が低いので,カルガモもかなり自由に田んぼの中を泳ぎまわることができます.
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当地では5月の連休中にほとんどの田植が終了しましたので,この週末で大体田植えから3週間とちょっと,ということになります.田植え直後の苗は大変か弱く,か細い苗が水の中にかろうじて立っているように見えるので,本当にこれで育つのだろうか?と思えるほどなのですが,さすがに3週間も経つと,苗はしっかりと根を張り,背丈もかなり伸びてきたのがわかります.これからは盛んに分蘖(ぶんげつ)して,体を大きくしていくことでしょう.
もちろん,何も世話をせずに稲が勝手に育つのではありません.農家の人たちは田植え直後から毎朝毎晩,水位の管理,そして倒れた苗を丁寧に補植するなど,実にきめ細かい世話をしているのです.日本の労働集約的な農業が稲の高密度の連作を支えていることは,もっと喧伝されて良いように思えます.
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昨日から低温が続いており,夜は寒くて冬のようでした.今日も午前中は厚い雲が垂れ込めて気温が上がらず,寒々とした5月末だったのですが,午後になって少し日が差し,幾分暖かくなったような気がしました.
わずかに日が差して景色に温かみが見えた瞬間を狙って,庭の木々を撮ってみました.まずは庭のすぐ外の土手に自然に生えてきたイボタノキ.よく見ると大変清楚な花を咲かせています.しかし幹からは太く鋭い棘状の突起が生えていて,剪定するときには大変気を使わなければならない木です.
こういう白い被写体は,直射日光が当たっているとコントラストが強くなりすぎてうまく露出が決まらないのですが,薄日程度の光だと,全体に光が回って良い感じになります.
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初夏も梅雨の走りが近づくと,毎年のように聞こえてくるのがホトトギスの鳴き声.東南アジアからはるばる渡ってくるらしいのですが,他の渡り鳥に比べるとずいぶんと遅い出足です.托卵する相手が営巣する前にやって来ても仕方がない,というふうに適応進化したのでしょうかねぇ?
こいつらは,真夜中でもけたたましく鳴くことがあるのですが,昼間にもよく鳴きます.梅雨の走りの蒸し暑い朝に,ホトトギスの鳴き声に送られて最寄駅まで歩く,ということを繰り返すのがこの時期の歳時記.里ホトトギスです.
同時に,庭ではヤマボウシの白い花,というか花びらに見える総苞片が目立ってきます.エゴやニシキウツギの開花もそろそろ.湿度が高まり,梅雨が近づいたことを実感できます.例年通りの歳時記(*1 *2)ですが,このような四季を楽しめるのが日本の素晴らしいところです.
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Hillbilly Goddess [Import] [from US] - Alecia Nugent
Alecia Nugent も私好みのブルーグラス歌手の一人.このブログでも過去2回ほど(*1 *2)紹介しています.この人の魅力は,正統派の媚びない歌いっぷりから漏れてくる豊かな情感表現,ということに尽きます.何もテクニックを弄せず,全く正調で歌っているのですが,声の質と,ごく自然な節回しが,豊かな情感表現を生んでいます.これは上記 *2 のデビューアルバムでも,*1 のアルバムでも全く同じ.
そして,このアルバムはその魅力にさらに磨きがかかったという印象を受けます.まず,良い曲が多い.大変洗練されたブルーグラスの逸品が並んでいます.特に,冒頭の第1曲 "Wrteckin' the Train" は素晴らしい名曲.流れるようなアップテンポの曲は Bluehighway の曲のよう.伴奏に流麗な Dobro が加わっていたらさらに良かったでしょう.
曲の良さばかりではありません.彼女の歌いっぷりはもともと危なげないベテランの味なのですが,それにされに磨きがかかり,しかも控えめな情感表現に厚みが増したという気がします.
続く第2曲の "Don't Tell Me" は,彼女のそのような魅力を十分に生かした名曲.長めの曲ですが,終わるのが勿体なく感じるほどです.それから第4曲の "Just Another Alice" や,第5曲の "The Last Greyhound" も名曲です.前半にこれくらい良い曲が集中していると,それだけで何とお買い得なアルバムかと思ってしまいました.
終盤,第9曲の "Wishin' Hard" は Tim O.Brien 作曲の美しいメロディーラインの逸品.これも素晴らしい作品です.
全体として掛け値なしに名品と呼べるアルバム.お勧めします.
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Mountain Soul II [Import] [from US] - Patty Loveless
Patty Loveless は私が大好きな女性ブルーグラス歌手.名アルバム "Mountain Soul" はこのブログでもごく初期に紹介しました.彼女の歌はいわゆる "恨み節" と言うべきもので,ひねりの効いたアルトの節回しは独特の味わいを持っています.静かに,しかし腹の底から歌い上げる唱法は恨み節にぴったり.
今回紹介するアルバムはこの名アルバムのセカンドバージョンで,その名もずばり "'Mountain Soul II" と実に直截です.しかし,その内容は第一作に勝るとも劣らない質の高さ.非常に驚きました.例えば第2曲の "Fools Thin Air",第4曲の "Half Over You",第5曲の "Prisoner's Tears",第10曲の "When the Last Curtain Falls" などは実に素晴らしい出来.まさに彼女の真骨頂が表現された逸品ばかりです.
今回のアルバムで特徴的なのは,第8曲に讃美歌,それもゴスペルが収録されていること.ブルーグラスのアルバムでは珍しいことではないのですが,彼女が歌うゴスペルは凄味があり,まるで黒人教会で聴いているような味わいがあります.
終盤近い第14曲の "Feelings of Love" は恨み節ながらもしっとりとした味わいの名曲.半音階のメロディー展開が新鮮です.
最後の第15曲は,Emmylou Harris 作曲の "Diamond in My Crown" という曲で,オルガンの響きが重厚さを加えた逸品なのですが,当然というかやはりというか,Emmylou がハーモニーコーラスで参加しています.このあたりの連携というか助け合いは,他の音楽ジャンルに比べるとブルーグラスでは特に濃厚なような気がします.
とにかく,名アルバムのセカンドバージョンの名を持つアルバムとして,その名に恥じない出来は大変立派.このアルバムは2009年のブルーグラス界の収穫の一つと数えられてもよいでしょう.
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例年お伝えしている(*1 *2 *3 *4 *5)我が家から見ることのできる田んぼの田植.今年は昨日と本日の2日間ですべて終了しました.今年は4月の天候が不順で気温が低めだったために,苗の生育が遅れたのではないかと気をもんでいたのですが,もともと苗は温室で育てられているので,あまり影響は無かったようです.5月に入って気温も高くなったので,連休から今日にかけて急速に田植えが行われました.2009年も5月9日に田植えの記事をアップしていますので,例年ほとんど同じ時期に田植えが行われていることになります.
水の入った田んぼでは夕方からカエルの大合唱が聞こえます.トウキョウダルマやシュレーゲルなど何種類かを聞き分けることができます.この合唱は夜半過ぎまで続きますが,明け方にはおさまります.
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分類という思想(新潮選書) - 池田 清彦(著)
このところ生物分類の考え方に疑問を持ったことがきっかけで,何冊かの分類学(の考え方)を論じた本を読んできました.そのうち三中信宏さんによる2冊はこのブログでも紹介したとおりです.しかしどうも自分の考え方に合わず,違和感を感じたままだったのですが,それはこの本を読むことでほぼ解消しました.この本の著者池田清彦さんの分類に関する考え方は,私の考え方に非常に近い.
著者は,構造主義生物学というものを名乗ります.これは当人たちによっても学会の主流からは外れているとのことですが,私にはこの本の内容にはかなり肯ける点が多いと感じました.著者は,私が三中信宏さんの本をレビューしたときに言及した渡辺慧さんの "みにくいアヒルの子の定理" を詳細にこの本の中で紹介しており,このことにまず驚きます.そう,著者は唯名論と実念論の普遍論争のことをまず知っておけ,と読者に命じるのです.著者のナイフは,科学的方法論自体へも切り込まれます.科学は具体的な事物を一般化抽象化して普遍的法則として語りたがる.具体的事物としての水は H2O という化学式に抽象化できるが,果たして個々の生物はイヌやネコという類に抽象化できるのか?と問いかけます.これはすなわち種は実在するか?と問いかけているのです.
著者の切っ先はほどなく分岐分類学に向かいます.そう,三中信宏さんが肯定的に紹介している分岐分類学を,この著者はばっさばっさとめった切りにしていきます.その激しさとしつこさは,この批判がこの本の半分程度を占めると言えばお分かりいただけるでしょうか?若かりし頃の三中信宏さん自身も実名を挙げて批判されているほどです.しかし著者の批判を読んでいくと,たしかに分岐分類学の怪しさや頼りなさもあぶりだされてきます.特に,"側系統を分類群として認めない" というのは,方法論として重大な欠陥であるように思えます.最節約原理は方法論として素朴すぎると感じますし,最尤法にしても棄却率を付記せずに繁用するのは考え物です.
さて著者の批判の矛先にあるものは,分岐学そのものよりは分岐学がそうせざるを得なくなったリンネ式命名法だと思われます.これに対する代替案として,著者は包含図を提示します.考え方としてはその通りなのですが,これを分類法に用いるのは容易ではありません.コンピュータ言語による記号処理にはこれで十分でしょうが.生物分類に関する限り,私たちはまだ十分に正しくかつ容易に使える方法論を獲得していないように思います.
一方,分岐分類学に対する厳しさに比べると,著者は自然言語や自然分類に対しては大変優しい態度を見せます.これは,構造主義との親和性からは当然のことと受け止められます.しかし,私にとっては "みにくいアヒルの子の定理" からの当然の帰結,すなわち "分類とは人間が進化の過程で獲得した適応行動にすぎない" という結論をもっと言ってほしかったなぁと思います.これぞ人間のパターン認識の本質.そう,この能力は進化の過程で適応的に獲得してきた(はず)ものなのです.三中信宏さんの本のレビューでもこれは書きましたね.
分子系統学に対する著者の態度は中立的かつ明確です.それは DNA という高分子が H2O と同じように記号化できるからでしょう.そう,これは類とみなせるもの.しかし,DNA は実は部品のカタログ集に過ぎず,どの部品がどの時点でどのような順序でつなぎ合わされるのかまで DNA に書いてあるわけではないようなのです.カタログのページの中の部品の並びだけを見て,最終的に作り出される生物の姿かたちを言い当てることはできない相談です.従って,分子系統学も慎重に扱わないと,そのうち大きな間違いをしそうな気がします.
それにしても分類は奥が深く,学べば学ぶほど我々の脳の機能の最重要の一部と思えてきます.これまでいろいろと腑に落ちないことが多かったのですが,この本を読んですこしすっきりしました.また哲学に強い著者の数々の骨太の強弁は,頭の体操として十分に楽しめます.
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