胸のつかえがすっきりした骨太の分類学論
分類という思想(新潮選書) - 池田 清彦(著)
このところ生物分類の考え方に疑問を持ったことがきっかけで,何冊かの分類学(の考え方)を論じた本を読んできました.そのうち三中信宏さんによる2冊はこのブログでも紹介したとおりです.しかしどうも自分の考え方に合わず,違和感を感じたままだったのですが,それはこの本を読むことでほぼ解消しました.この本の著者池田清彦さんの分類に関する考え方は,私の考え方に非常に近い.
著者は,構造主義生物学というものを名乗ります.これは当人たちによっても学会の主流からは外れているとのことですが,私にはこの本の内容にはかなり肯ける点が多いと感じました.著者は,私が三中信宏さんの本をレビューしたときに言及した渡辺慧さんの "みにくいアヒルの子の定理" を詳細にこの本の中で紹介しており,このことにまず驚きます.そう,著者は唯名論と実念論の普遍論争のことをまず知っておけ,と読者に命じるのです.著者のナイフは,科学的方法論自体へも切り込まれます.科学は具体的な事物を一般化抽象化して普遍的法則として語りたがる.具体的事物としての水は H2O という化学式に抽象化できるが,果たして個々の生物はイヌやネコという類に抽象化できるのか?と問いかけます.これはすなわち種は実在するか?と問いかけているのです.
著者の切っ先はほどなく分岐分類学に向かいます.そう,三中信宏さんが肯定的に紹介している分岐分類学を,この著者はばっさばっさとめった切りにしていきます.その激しさとしつこさは,この批判がこの本の半分程度を占めると言えばお分かりいただけるでしょうか?若かりし頃の三中信宏さん自身も実名を挙げて批判されているほどです.しかし著者の批判を読んでいくと,たしかに分岐分類学の怪しさや頼りなさもあぶりだされてきます.特に,"側系統を分類群として認めない" というのは,方法論として重大な欠陥であるように思えます.最節約原理は方法論として素朴すぎると感じますし,最尤法にしても棄却率を付記せずに繁用するのは考え物です.
さて著者の批判の矛先にあるものは,分岐学そのものよりは分岐学がそうせざるを得なくなったリンネ式命名法だと思われます.これに対する代替案として,著者は包含図を提示します.考え方としてはその通りなのですが,これを分類法に用いるのは容易ではありません.コンピュータ言語による記号処理にはこれで十分でしょうが.生物分類に関する限り,私たちはまだ十分に正しくかつ容易に使える方法論を獲得していないように思います.
一方,分岐分類学に対する厳しさに比べると,著者は自然言語や自然分類に対しては大変優しい態度を見せます.これは,構造主義との親和性からは当然のことと受け止められます.しかし,私にとっては "みにくいアヒルの子の定理" からの当然の帰結,すなわち "分類とは人間が進化の過程で獲得した適応行動にすぎない" という結論をもっと言ってほしかったなぁと思います.これぞ人間のパターン認識の本質.そう,この能力は進化の過程で適応的に獲得してきた(はず)ものなのです.三中信宏さんの本のレビューでもこれは書きましたね.
分子系統学に対する著者の態度は中立的かつ明確です.それは DNA という高分子が H2O と同じように記号化できるからでしょう.そう,これは類とみなせるもの.しかし,DNA は実は部品のカタログ集に過ぎず,どの部品がどの時点でどのような順序でつなぎ合わされるのかまで DNA に書いてあるわけではないようなのです.カタログのページの中の部品の並びだけを見て,最終的に作り出される生物の姿かたちを言い当てることはできない相談です.従って,分子系統学も慎重に扱わないと,そのうち大きな間違いをしそうな気がします.
それにしても分類は奥が深く,学べば学ぶほど我々の脳の機能の最重要の一部と思えてきます.これまでいろいろと腑に落ちないことが多かったのですが,この本を読んですこしすっきりしました.また哲学に強い著者の数々の骨太の強弁は,頭の体操として十分に楽しめます.
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