« 2011年3月 | トップページ | 2011年5月 »

2011年4月

2011/04/28

ケヤキ萌え

Takasakiforest_apr2011106m

現在,当地ではケヤキの新緑が大変きれいです.大量の新しい葉が萌え出でています.ケヤキの大木一本で,いったいどれくらいの数の葉が生まれているのかわかりませんが,おそらくは数十万枚から百万枚という単位ではないかと思います.これだけ大量の葉を,毎年産み出し,毎年枯らして落とすという作業を何十年もやっているのですから,全く恐れ入ります.

Takasakiforest_apr2011101m

ケヤキが密生している雑木林の中に入ると,まるで緑のシャワーを浴びているような錯覚に捕らわれます.週末に訪れた自然公園の中には何か所もケヤキが主体の雑木林があり,今が盛りと新緑が萌えています.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011/04/27

着生植物にも春が来た

Takasakiforest_apr2011077m

この着生植物,何とかシダとか何とかランという類のものだと思いますが,胞子嚢がはっきりと見て取れます.彼らにとってもやっと春が来て,これからひっそりと胞子を飛ばし,新たな着生場所を開拓していくのでしょう.これも週末に訪れた自然公園の中でのスナップ.

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011/04/26

サクラの花のシャワー

Takasakiforest_apr2011064m

これも同じ自然公園の中.ヤエザクラが密植してあるところでは,樹冠が花で覆い尽くされており,その下に入り込むと,まるでサクラの花のシャワーを浴びているような恍惚感を味わうことができます.

Takasakiforest_apr2011060m

今日は日差しが大変強く,樹冠を見上げると逆光の中にサクラの花びらが透けて見えて,大変美しく感じられました.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011/04/25

ズミの花

Takasakiforest_apr2011050m

これも昨日訪れた自然公園でのスナップ.植えられたズミの花がちょうど咲き始めていたところでした.ズミは "コナシ" とも呼ばれるリンゴ属の木本です.関東地方の高原にはにはごく普通に生えているのですが,平地で見ることはあまりありません.ちゃんと根付くのか興味があります.夏の高温に耐えられるでしょうか?

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011/04/24

ヤエザクラが満開

Takasakiforest_apr2011005m

昨日の悪天がうそのように,今日は早朝から好天だったので,近隣の自然公園に出かけました.ここにはヤエザクラが密植されており,ちょうど今が花の盛り.ソメイヨシノを見慣れた現代の日本人にとってはやや違和感がありますが,しかしヤマザクラやヤエザクラ,そして私が好きなオオシマザクラなど,昔から日本の春を彩ってきたサクラの花々が数多くあります.花期も数週間のずれがありますので,まだまだ楽しめるということですね.

| | コメント (0) | トラックバック (4)

2011/04/23

中国の航空管制に怒る

またまたやってくれました.中国では,人民解放軍空軍の演習とか,政府のお偉いさんの渡航とかで,民間の航空便が足止めを食らう例が非常に多く,特に国内便では1時間程度の遅れは日常茶飯事なので,ひょっとして・・・と思っていたのですが,案の定,昨日,北京から日本への帰国便の離陸が1時間30分ほど待たされました.おかげで成田から帰宅するのが大幅に遅れ,当方としては大迷惑.

北京首都空港は,東アジアででも有数の大規模な空港なのですが,その運用たるや日本の地方空港にも劣るレベル.あれだけ広い空港なのに離陸待ちの飛行機が列を成して渋滞しているのはいったい何故?と思うのは私だけではないでしょう.特にアメリカの空港のように,3分おきに離陸させるような効率の良い運用があり得ることを知っていると,中国の空港の非効率は目に余ります.

非公式の情報によれば,昨日の離陸の遅れの原因は青島での人民解放軍空軍の演習で空域が閉鎖されたためとのことです.日本やアメリカでも全く無いわけではありませんが,それでも中国での民間劣位の頻度は目に余ります.中国はいまだに国家権力が全てに優先することが当然であり,かつ,権力を持つ者がそれを最大限に活用することが容認される社会なので,西側の民主国家では想像し難いことが頻繁に起こります.しかしこんなことをいつまでも続けていると,いずれそっぽを向かれることは必至.私は中国への渡航を最小限にするよう心がけたいと誓った次第です.

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2011/04/18

ハナグモ

庭で花の写真を撮っていたら,ハナグモらしき昆虫を発見.他の昆虫が花に飛んでくるのをじっと待ち伏せしているのでしょう.前日の強風で花がだいぶ痛んでいるので,本当に他の昆虫が蜜を吸ったり花粉を食べたりしに来るでしょうか?

Springhome_apr2011048m

ハナグモは正式にはカニグモと呼ばれるのだそうです.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011/04/17

春本番になってきました

昨日は強い南風が吹き込んで気温がぐんぐん上がり,当地でも25度を超える夏日にまでなりましたが,今日は一転して寒気が入り,気温は平年並みに下がりました.春はいよいよ本番で,さまざまな草花が咲き始めるとともに,木々の新緑が見られるようにもなってきました.

Springhome_apr2011060m

写真は我が家の庭のトサミズキの新緑.特徴ある花は今月初めに紹介しましたが,それが終わると,次にこのような特徴的な葉が出てきます.やがて木の葉は大きく丸く広がり,幾重にも重なって地面に木陰を作るようになります.

Springhome_apr2011055m

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011/04/11

最も好きな春の風景

私が最も好きな春の風景はこれです.

Aroundhome_apr2011091m

そう,コブシの花が孤高の輝きを持って雑木林の中で咲き誇っている様です.当地ではこの風景はごくありふれた里の風景ですが,この景色を見ると,ああ春が来たと実感することができます.

コブシの近縁種として,モクレンは庭木としても多く植えられていますので,住宅地の中でも似たような風景は目にすることができるのですが,しかし,雑木林の中で大木になり,かつ清楚で小ぶりな白い花を一斉に咲かせるコブシのほうが,私は好きです.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011/04/10

余震にもめげずに春は来る

ようやく当地でもソメイヨシノが満開になりましたので,強風が収まり日差しに恵まれた日曜日の午後,近所を散歩して花を楽しんできました.今年は3月が寒かったので,サクラの開花は平年よりはやや遅れ気味でしたが,見事に美しく満開になりました.

Aroundhome_apr2011044m

このサクラの並木があるところは大きな沼の近くの低地なので,地震の影響が大きく現れており,土手に深いひびが入っていたりしています.今日も余震が続いているのですが,それでも春は来るということを確かめることが出来てうれしい思いでした.

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011/04/09

「想定外」は工学では最も重い罪

今回の東日本大震災では,たくさんの "想定外" の事象は発生したものですから, "起こさないこと" に重点を置き, "起きた時にどう対処するか" を実に本当に考えていなかった結果,深刻な事態が各所で発生しています.

理学の分野では "想定外" は胸躍ることであり,それを常に探し求めることが仕事の重要な一部となります.ニュートン力学が想定していなかったことが次々と発見された19世紀末から20世紀前半にかけて,量子力学特殊相対性理論という新しいパラダイムが構築されていきました.理学にとっては "想定外" は革新のための駆動力であり,想定内のことしか起きないのであれば,そこで学問は停滞してしまいます.

しかし,工学ではそうはいきません.工学はあくまでも実用の学です.私たちが生活する日常空間で,技術的にも経済的にも成立するモノを作り上げ使用していく,というための学問です.基本的な性能を発揮するための "定格条件" がまず想定され,その条件で技術や経済性が成立することが検証されます.その次に行われなければならないのは,"非定格条件" でのモノの振る舞いが,重大な影響を及ぼさないように,さまざまな対策をモノに内包させる,あるいは外部の補機にその機能を付与する,という設計が必要になります.

ここで難しいのは,対策を取る "非定格条件(事象)" の範囲をどこまで拡大するかです.この範囲を広く取りすぎると,対策には莫大なコストがかかり,工学的なモノは設計できなくなります.一方,範囲を狭く取りすぎると,モノの設計寿命内に "想定外" の事象に現実に遭遇し,重大な影響を使用者や外部に与えてしまうことになります.

注意しなければならないのは,非定格条件(事象)を "想定する" ことと,そのための "対策をとる" ことは異なる概念だということです.想像力を働かせれば,想定の範囲はいくらでも広げることができます.しかし,現実にどこまで対策を取るかは,コストを考慮せざるを得ません.従って,工学的にはいくつかのシナリオに分かれます.

  1. 事象を想定し,影響を評価し,対策を取る
  2. 事象を想定し,影響を評価するが,十分な対策は諦める
  3. 事象を想定するが,影響を十分に評価できないため,最大限の安全係数をもって対策とみなす
  4. 事象を想定するが,影響を評価できず,対策も取らない
  5. 事象を想定せず,対策も取らない

このとき,工学で許されるのは(1)(2)(3)までであり,(4)(5)は工学では許されない,と私は考えます.後半の二つは技術者倫理に抵触し,職業上の罪であると思います.特に(5)は最悪の罪で,想像力の欠如,あるいは思考停止,あるいは無能,などという侮蔑的なラベルを張られても仕方がありません.

注意を要するのは(2)の場合です.これは,影響の評価は行うものの,それをわかったうえで十分な対策は諦めるというものです.これは(4)や(5)と同じではないかと思われるかもしれませんが,そうではありません.影響評価を行い,それを社会に公表し,そのうえで社会全体の合意として十分な対策は諦めざるを得ないと決断するものです.これは例えば,恐竜の絶滅を引き起こしたような小惑星の衝突にどう対処するか,というような場合に当てはまるものです.

ここでは例として自動車と原子力発電プラントを考えてみます.

自動車ではどのような "非定格条件(事象)" が想定されているのでしょうか?最も代表的なものは衝突事故です.自動車の設計には,衝突時を想定したさまざまな対策が取られています.搭乗者を直接守るためのシートベルトやエアバッグを筆頭に,ボディ前面の剛性や塑性変形のさせ方の工夫,エンジンなどの重量機器の衝突時の挙動,ドアやピラーやボディ側面の剛性,燃料タンクの配置と強度などなど,おびただしい数の項目が検討され,設計され,そして実際の衝突実験を通して検証されていきます.人体についてはダミーと呼ばれる高価な人形を使って肉体的損傷が評価されます.

そして,この時に最も重要な前提は,時速何km/hまでの全面フルラップあるいはオフセット衝突であれば,どの部分が守られ,どの部分が守られないか,ということが設計時に明らかになっていることです.いかに対策が施されているとはいえ,時速150km/hでコンクリート壁に正面衝突した場合に搭乗者の肉体が損傷を受けないという設計はきわめて稀なはずです.何故でしょうか?それは対策のコストが膨大なものになり,ほとんど誰にも買えない安全装置の塊のような代物になってしまうからです.そのため,このような事故の場合は安全でいられることは諦めてください,という暗黙の前提のもとに自動車は設計され,売られ,買われているわけです.これは上記シナリオのうち(2)に相当します.

では,時速40km/hで対向車とオフセット衝突をした場合はどうでしょう?この場合には,かなりの確率で搭乗者の命が守られる設計になっているはずです.そのためのコストも長年の技術開発のおかげで一般消費者に負担できる程度に抑えられています.私たちは,この前提に大いに期待し依存しているわけです.これは上記シナリオのうち(1)に相当します.

自動車はわかりやすい例です.なぜかというと効用とリスクが明確で,被害についても,効用のためにリスクを取った本人の命と引き換えという単純な関係が保たれるからです.

さて,問題は原子力発電プラントです.原子力プラントが厄介なのは,どんなにわずかな可能性であっても,それが破壊された場合の影響が甚大かつ長期に亘るからです.どこまで "非定格条件(事象)" を拡大すべきでしょうか?効用とリスクの関係はどうなっているのでしょうか?シナリオ(1)が理想であることは当然ですが,では,隕石の衝突まで考慮すべきでしょうか?あるいはテロリストに乗っ取られた旅客機の衝突は?

まず,巨大地震や大津波は当然想定されるべきでしょう.なぜならば,一人の人間の生涯で,これらを経験するのは一度だけとは限らないほど頻度が高いからです.今回の東北地方太平洋沖地震が1,000年に一度しか起きないようなきわめて稀な地震,という見方に私は反対します.この地震の年表をご覧ください.日本の周囲では巨大地震が頻繁に起きています.日本のいずれかの地点で巨大地震が起きる頻度を考えると,少なくとも10年から20年に一度という程度は想定しておくべきと思います.原子力発電プラントの設計寿命は40年程度ですから,稼働期間中に最低2度程度は巨大地震や大津波に遭遇すると考えて対策を取っておくべきです.これが出来ていなかった日本の原子力工学は重大な欠陥を抱えていたと言わざるを得ません.

地震に関する学問も他の学問と同じく日進月歩です.古い時代の地震の痕跡を調査し,被害の規模を推定する分野も進歩しています.これまでに記録や痕跡が残っている最高の津波は1958年にアラスカ南端のリツヤ湾で起きたもので何と高さ520m!尤もこれは津波というよりは水跳ねと言うべきだそうですが,同じ湾で1936年に起きた津波の高さは147mですから,やはりこれはすごい!これらは例外的な地形に基づくものとして除外したとしても,高さが数10mの津波はここ100年のうちに地球上で何度も起きている,という事実を肝に銘じておくべきです.古地震学とでも言うべき分野が発展し,そこから謙虚に教訓を得ていく姿勢が必要となるでしょう.とてつもなく強い自然現象が,実はかなり頻繁に起きているという事実を素直に認めるべきです.

現象の強さ以外に工学的な制約条件として,地震直後に外部電源や非常用発電機が失われ,かつプラントが陸路から孤立して外部からの支援が得られないという想定も,若狭湾の狭隘な海岸地形に立地された原子力プラントでは十分に現実的です.これらはどこまで想定されているのか,大変気になります.

それでは隕石の衝突はどうでしょう?こちらは地震の頻度に比べると桁違いに少ないのですが,それでも起きた場合の影響は評価しておく必要があります.最も最近の隕石の記録は,シベリアで1908年に起きたツングースカ大爆発です.このクラスの爆発が原子力発電プラントの間近で起きると,プラントは完全に破壊され,大量の放射性物質が周囲に飛散すると思われます.このような想定に対しては,上記シナリオのうち(2)または(3)を採用することになるでしょう.隕石が陸地ではなく海洋に落ちるとこれは津波をもたらすはずで,この場合もやはり(2)か(3)を採用せざるを得ないと思います.

隕石の衝突など考えていたらきりがない,それは天が落ちてくるのを心配するのと同じことだ,というのがこれまでの日本の原子力工学の立場だったのですが,しかしつい100年前に,日本からさほど遠くないところでこのようなことが現実に起きたことをどう思っているのでしょう?シナリオ(4)や(5)は隕石の衝突に対しても許されないことだと思います.地球上で発見されている比較的新しい隕石衝突の痕跡だけでもこれだけのものがあります.確かに頻度は非常に小さいのですが,1万年に一度よりは大きいと想定するのが妥当と思います.

また,地球に衝突する可能性のある天体の探索も進んでおり,中にはアポフィスのように,今後100年間の間に数回の衝突可能性を指摘されているものもあります.このような小天体は観測が進むにつれて増えていくはずで,まさに天が落ちてくる心配をしながら対策を打っていく,という姿勢が必要になるはずです.

テロリストによる旅客機の衝突は十分に現実的な想定です.アメリカ同時多発テロ事件でテロリストが原子力プラントを狙わなかったのは不幸中の幸いでした.これは隕石の衝突などよりははるかに高い確率で起こりうる事象なのですが,原子炉格納容器をどの程度のまで耐えられる設計にするのか,難しい問題ではあります.変型版として,例えば北朝鮮からの弾道ミサイルが原子力発電プラントに照準を定められている場合なども考えられます.

このように考えを進めていくと,日本の原子力工学や原子力行政がいかに狭い範囲に限定して "想定" を行ってきたかがわかる一方,シナリオ(2)を取らざるを得ない場合も多く,社会的合意をどのようにとっていけばよいのか,試行錯誤が必要な課題も多いと気づかされます.いずれにせよ,効用とリスクを天秤にかけた場合,万全の対策というのはあり得ず,必ずリスクをはらんでいるということを,行政当局は周知させる必要がありますし,市民の側にも覚悟が求められることは明らかです.

市民の側に覚悟ができない場合には,エネルギーをふんだんに利用できるという現代文明の効用を諦めるという別の覚悟が必要になり,再生可能エネルギーと,地球温暖化に影響しない程度の最小限の化石燃料によるエネルギーだけで成り立つ文明を築き直す覚悟が求められます.私自身にはその覚悟がありますが,世界全体にその覚悟が出来るかについては非常に悲観的です.なにしろ人口を現在の数分の一に減らし,森林からの木質エネルギーと,有機農法で成立する農業社会が基本になりますので.そこまで立ち返る覚悟があるかと.

| | コメント (13) | トラックバック (4)

2011/04/02

トサミズキの花穂やや成長

Springhome_apr2011001m

先週写真を掲載した我が家のトサミズキですが,今週後半は暖かい日が続いたので,花穂がだいぶ伸びてきました.そういえば,もう四月.東京でもソメイヨシノがほころびかけていますが,昨日日帰りで行ってきた京都ではソメイヨシノは一部咲き,ケヤキが新しい葉をのぞかせ,山は全体に黄緑に染まっていました.

| | コメント (0) | トラックバック (1)

« 2011年3月 | トップページ | 2011年5月 »