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2012/04/30

「ほとんど有罪」は「無罪」ということ

つい先日,ある政治家の政治資金問題に関する裁判の判決が出ましたが,結果は "無罪" でした.ただし判決文にはいろいろと灰色の部分についても言及があり,完全な清廉潔白とは言い難い判断でした.これを悔しがった原告側が "ほとんど有罪なのに" と言ったらしいのですが,これは論理的に正しい言葉の使い方で,私たち日本人がしばしば陥る "ほとんど" の誤用に至ることがなかった点はさすがは法律家です.

"ほとんど何々である" とは,"何々ではない" と言っているのと同じことです.これを "何々である" と誤解する人が実に多い."ほとんど死にそうになった" とは "死ななかった" ということであり,"ほとんど全員が死亡した" とは "全員は死ななかった" あるいは "死ななかった人がいた" ということです.

これはもちろん論理に白黒をつける二元論の立場であって,中間の灰色を認める定量的な議論になれば,意味は全く異なってきます.しかし,有罪か無罪のいずれであるかを議論する場合には,どんなに "ほとんど" 有罪であっても,それは無罪なのです.

二元論は西洋で発達したので東洋には馴染まないという向きもあるかもしれませんが,東洋でも陰陽思想などは古くからあります.日本はむしろ多様性を認める多元論に馴染みがあるのかもしれません.

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