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2012/06/17

はやく殺すかゆっくり殺すか

東日本大震災以降,世界中で,そして特に日本で,エネルギーに関する議論が大変活発になってきました.そのこと自体は大変良いことだと思いますが,いくつか気になることがあります.私なりに気になることを思い切って要約すると以下のようになります.

1. 再生可能エネルギーへの過大な期待
2. 地球温暖化のリスクの過小な評価
3. 人口抑制に関する議論が全く無いこと

まずは再生可能エネルギーへの過大な期待です.最もありがちな誤解は "発電能力" と "実際の発電量" の違いを混同することから来ているように思います.詳細は省略しますが,風車や太陽光パネルの原理的制約のため,これらの発電量はその発電能力の7-8パーセントからせいぜい15パーセントほどです.メガソーラーウィンドファームの紹介記事でお目にかかる発電量とは上記の発電能力であることが多いのですが,実際にはそれよりも一ケタ程度小さな発電量しか得られないことに注意する必要があります.また,パワー密度が低い再生可能エネルギーは広大な設置面積を必要とするので,人口密度が高く土地を高度に利用している日本のような国に向いているとは言えません.

このように考えると,現在の電力需要の全てを再生可能エネルギーで賄うことは非現実的で,せいぜい30パーセント程度ではないかと私は想像します.ちなみに風力発電の最先進国であるデンマークでもまだ20パーセントほどでしかありません.しかも私たちが消費しているエネルギーは電力だけではありません.電力の3-4倍のエネルギーを熱源や動力源として消費しており,それらのほとんどは化石燃料であることもまず知っておく必要があります.

次は地球温暖化のリスクについてです.原子力発電の技術は現在も将来も不完全で,想定される全ての事象に備えることはできません.従って常に放射能漏れのリスクが付きまといます.また高レベル放射性廃棄物を数万年以上も安全に保管することなど,技術的にも経済的にもできるはずがありません.そもそも,今の私たち世代だけの都合で後代にその義務を押し付けることは不道徳であり,世代間倫理の公正さに反します.

では,原子力発電を止めたとして,その穴を埋めるのは何でしょうか?昨今の世論は,それは再生可能エネルギーで可能だろうという雰囲気になっていますが,現実には非常に難しいでしょう.最大限譲って可能だとしても,まだ残りの大部分を賄ってくれている化石燃料のことを忘れています.これまでのように化石燃料を使い続けて良いのでしょうか?ついこの前まで地球温暖化防止の大合唱を行っていた私たちが,これからも石炭や石油や天然ガスを使い続けて良いのでしょうか?

良いわけはありません.原子力と化石燃料は,つまるところはやく殺すかゆっくり殺すかの違いしかありません.目に見えない放射能に怯えるのと同じくらい,何十世代もかかってじわじわと温暖化する気候に生態系と文明を破壊されることにも怯えるべきです.また,原子力と化石燃料のいずれも枯渇型の資源であり,人類が長期間(例えば数十万年)頼ることが出来るエネルギー源でないことは明らかです.

冷徹に原理的に考えると,人類を長期間養えるエネルギー源は再生可能エネルギーしかありません.化石燃料を使い始めるまで人類は知ってか知らずかそうしてきたのです.その大部分は再生可能な牧草を食べる牛馬であり,再生可能な森林から採れる薪や木炭だったのです.それらに加えて現在では風力と太陽光という新たな電力源が使えるようになりました.では,今の人類がそのような文明に移行することは可能でしょうか?

今の人口では全く不可能です.しかし人口を昔のように少なくすれば,日本の場合では江戸時代のようにすれば,何とかなるのではないでしょうか?また,単に昔に戻れば良いということでもありません.社会全体をポスト工業化社会としての新しい農業経済社会に作り替えることも必要です.これまでとは違う価値観や幸福感が社会の基軸に据えられるようになるはずです.そのときの最も重要な理念は "持続可能な文明" でしょう.

最大の課題は私たちの心の持ちようからくる社会の安定性です.人口が徐々に減っていく社会.工業からバイオマスすなわち農林業に重心を移す文明.そのような環境で私たちの精神が健全さを保って長い歴史を乗り切っていけるでしょうか?これは全く未知の問題です.ウランが枯渇し,化石燃料も枯渇していく社会.使えるエネルギーが減るということは食糧生産も減少するということです.紛争や飢餓などの災厄なしに,平和裏に人口を減らしていくことは可能でしょうか?

人口とエネルギー量のバランスだけに話を限ると,300年程度かけてゆっくりと移行すれば不可能ではないでしょう.例えば,人口を毎年0.5パーセントずつ減らしていけば,300年後には元の人口の22パーセントにまで縮小します.この程度になれば,再生可能エネルギーだけで文明社会を維持していけるかもしれません.そして再生可能エネルギーだけで,私たちの遠い祖先がそうしたように,これからも幾度もやってくる氷期や温暖期を乗り越えていかなければならないのです.

人口を減らし再生可能エネルギーだけで成立する文明を築くことが,人類に残された唯一の持続可能な生きる道です.そのことに全く言及しない昨今のエネルギー論は非常に浅薄ですし,文明論としても貧弱です.なにより,文明を維持し続けるのだという覚悟が感じられません.もっと長い時間軸と視座で物事を論じ,あるべき未来から時間をさかのぼって現在の課題を位置づけ,直近の現実的な対策を提案していく,そのような議論が始まることを期待します.

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コメント

俊さん

私も全く同じ考えです。

先日も、某所で市民講座で再生エネルギーの話をしましたが、このブログと全く同じ話をしてきました。

デンマークは、巨大なヨーロッパの電力網の中で、風力発電の電気をカーボンオフセット商品としてドイツやスエーデンに売っていて、周りから安定した電力を買っています。

投稿: きたきつね | 2012/06/17 22:17

私も最近同じようなことを考えていました。
先日テレビでブラジリアのドキュメンタリーを見ていて、完全な計画都市として造られたはずなのに、人口が計画の2倍になって、朝夕道路は大渋滞、周辺の衛星都市の貧困化がすすむなどが、理想通りにいかない現実が紹介されていました。
それを見ていて、そもそも地球という生態系における適正な人口はどれくらいなのだろうかと思いました。
都市にしても、国家にしても、惑星にしても、適正な人口を超えると無理があるのは明らかなことだと思いました。
これについては、自分なりに考えを整理中です。

投稿: 白梅亭 | 2012/06/17 23:42

きたきつねさん,白梅亭さん,コメントありがとうございました.お二人からのコメントをいただいて心強いです.

今日からいよいよ日本版 FIT が始まりました.特に太陽光の買い取り価格が異常に高く,明らかに太陽光パネル産業をスポイルしてしまうだけでなく,間違いなく太陽光バブルが生まれ,やがてこの FIT 価格が維持できなくなってそのバブルははじけるでしょう.そうやって再生可能エネルギー産業そのものが傷ついてしまうことを恐れています.ドイツのように,FIT の価格決定方式に工夫が欲しいところです.

投稿: 俊(とし) | 2012/06/18 21:40

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