新年明けましておめでとうございます.皆様お元気でお過ごしでしょうか?例年通り,昨年一年を振り返り,今年の展望を書いてみたいと思います.
2011年の震災以降,何かと世の中が揺れ動く振幅が大きくなってきたように思います.日本の政治もそうですし,外交や国際関係についても同様のことを感じています.これは一つには,以前のようにある特定の組織やコミュニティの中でしか共有されなかった情報が,広く世の中一般にばら撒かれるようになったために私たちがそう感じるようになった,ということなのでしょうが,しかしその反作用として,当事者たちが世論の動向に従来よりも敏感に反応するようになったということもあるでしょう.これは下手をするとポピュリズムに陥ることになるので,そのバランスが難しいところです.

昨年は韓国や中国との領土に関する争いが目立ちました.領土に関する主張は大衆ナショナリズムに直結し,下手をすると互いの政策の選択肢を著しく狭める危うさを孕んでいます.共産党独裁国家の中国ですらネット世論を大変神経質にモニターしており,いまやその動向を無視できないと言われています.従って,日韓あるいは日中両国は,いかにして互いの大衆ナショナリズムに火を点けないかという点に関しては利害を共有できるはずであり,リアリストたちがいかに権力内部で実の取れる政策提案を行いつつ発言権を高めていけるかが鍵を握っていると言えるでしょう.
さて外交一般についてですが,リアリストを自認する私自身にとって,特に日本人は国と国との付き合いにロマンチックな幻想を抱きすぎるのではないかと感じています.韓国や中国とは,紛争や禁輸などの破綻的事態に陥ることなく通常の商取引や人の往来が出来るのであれば,無理に親近感を感じたり,ましてや親密になる必要など全く無いと思います.これはどの二国間関係についても同様ですし,ひいては自国内の別々のコミュニティ同士,隣人同士についても同じです.殴り合いの喧嘩にさえ発展しなければ,相手のことを気に入らなくても一向に構いません.互いに嫌な奴だと思いながらも妥協しながらどうにかこうにか付き合っていければそれで十分です.それが付き合いや外交というものだと思います.
付き合う相手との距離感もその時々の利害や思惑によって変えていって構いません.時には相手をけん制するために第三者と近づくことがあっても良いでしょう.外交にロマンティシズムを持ち込むと,このような戦略的な行動が取りにくくなってしまうのは言うまでもありません.外交ではあくまで戦略的利益を基準として政策が評価され優先順位づけられるべきです.このあたりの考え方は,何千年も様々な民族と権力者が去来してきた大陸の国々のほうが "生活の知恵" として根付いているように思います.

大衆ナショナリズムは,国を愛することを自己犠牲のレベルで要求しがちなのですが,私にとっては個人と国の関係も上記同様のリアリズムの範囲でしかありません.私自身にとって戦略的利益になるのであれば,その国の国民であり続け法的な義務を果たしていきますが,そのことはその国の全てを無条件に愛することとは異なります.国は全能の神ではありませんので盲目的に愛したり追随することはできません.ここが家族やコミュニティと国とが決定的に異なるところです.
愛国心の基礎は家族愛や郷里愛です.故郷の山河がいつまでも豊かで健全な姿を保ってほしい,そして自分の家族や郷里の人たちが健やかに発展していってほしいと願うことですが,実はこれが本来の保守です.その現代的派生としての自然保護・環境保護は本質的に保守の思想ですが,これらと大衆ナショナリズムとは全く異なる思想であることは強調しておきたいと思います.
最近の日本は,経済成長著しい周辺の隣国たちとの関係性の再構築を模索している段階と言ってよいでしょう.日本が相対的に没落していくことは間違いありませんが,それがさほど悪いものにならないようにできるかどうかは私たちの戦略と行動次第です.イギリスは第二次世界大戦期にはすでに国力の衰退と経済的地位の没落を自覚していました.イギリスの戦後政治の基本思想は "いかに衰退をコントロールするか" だったそうですが,それは概ねうまく行ったのではないでしょうか?イギリスは基軸通貨だったポンドをドルに明け渡し,植民地経営は放棄し,軍事力も大幅に縮小しました.国内の製造業は衰退し,一時はイギリス病と揶揄されるような状況にも陥りましたが,現在ではそれも克服され,中東のオイルマネーの中継貿易,すなわち余剰資本の金融・投資で結構うまくやっています.
日本がこれからも細やかな感性と改善精神を基盤としたモノづくりでやっていけるか良くわかりませんが,社会の発展段階の最前線に立ってしまったことは間違いなく,他にお手本が無い状況でどのように諸課題を解決していけるか,80年代の欧米諸国と同様の状況にようやく追いついたところだと感じます.私自身の見立ては,日本人がマインドセットを切り替えることが出来ればという前提付きですが,比較的楽観的です.特に今の若い人たちを見ていると希望が湧いてきます.

さて,硬い話はこれくらいにして,私自身の一年間どうだったか振り返ってみましょう.昨年の新年の挨拶に書いた通り,昨年は年明けとともに新しい会社への通勤で幕を開けました.通勤時間が2時間もかかり,下手をするとその2時間が立ちっぱなしとなるので,とにかく肉体的にきつかったというのが偽らざるところです.長時間通勤生活では睡眠時間を確保することが重要です.それには就寝時間を早めるしかありません.従って,平日は帰宅後の自由時間はほとんど無いといっても過言ではありません.
一方,新しい職場の人たちは大変暖かく迎えてくれて,これには本当に救われました.これが無かったら精神的にもっと追い込まれていたかもしれません.仕事自体は以前からの延長線上にある内容なので,さほど違和感も感じずに始めることが出来ましたが,しかし目標と現実のギャップは大きく,それは現在に至るまで解消されてはいません.あぁきつ!

ところがさらに,4月には別の職場への出向を命じられ,そこへの通勤も2時間.ただしこちらは若いころから馴染んだ街だったので,昔を思い出しながら馴染みの写真ギャラリーを梯子する余裕がありました.都内屈指のターミナル駅近傍なので楽しみも多くあります.そして秋にはこの職場へ転属となり,一年間の間に2回も退職金をもらう羽目になってしまいました.
さらにさらに,年末になってその職場ごと都心へ移転.ここ10年ほど馴染んだターミナル駅なので,いろいろなウラ技も知っている界隈.通勤時間も少し短くなり,少しは人間的な暮らしが戻ってきた感じがします.この職場から動くことは,たぶん,もう無いと思うので,腰を落ち着けて仕事人生の仕上げを図っていくつもりです.あと数年です.
健康はすべてに優先する,というのが私のここ10年ほどの信条なのですが,最近は体の不調を感じることが増えました.まずアルコールに弱くなってきました.以前はかなり深酒をしても翌日午後には復活していたのですが,それはもう過去の話.肝臓の前にまず胃腸をやられてしまうらしく,どうも調子がよくありません.赤ワインを楽しむ頻度も減らしてしまいました.
若いころからの持病である膝の痛みは,だましだましで付き合っているのですが,赤信号に変わりそうな横断歩道を急いで走り抜けたりすると,決まって左膝が痛み出してそのあとで後悔することの繰り返しです.もう運動らしいことはできません.

左目の視力はいよいよ悪くなり,かなり度の強い老眼鏡をかけても補正するのが難しくなってきました.近視は手術で直る場合があるのですが,老眼はそのような方法は無いのですね.誰か発明したら,金持ちの年寄りは多いので,きっと大儲けできると思います.
昨年は尿路結石はおとなしくしていてくれて一助かり.今年もおとなしくしていてほしいものです.あいつが暴れ出すと本当に痛く苦しい.
ここ数年間,若いころに始めた写真という趣味を復活させてきたのですが,昨夏の終わりころに,新しいコンパクト・デジカメを入手.これまでの小さな撮像素子とは一線を画する比較的大型の撮像素子と,それにマッチしたレンズとが相まって,なかなか素敵な画を出してくれるので,一目惚れして買い求めたものです.
しかし,撮影に出かける機会がなかなか作れず,わずかに毎日の通勤途上で少しずつショットを重ねてはカメラの癖を勉強中です.このカメラは,光がたっぷりとある中遠景では非常に良い画を出せることを改めて確認するとともに,マクロは非常に苦手,暗いところも苦手ということが分かってきました.これらの癖をうまく生かして,通勤鞄の伴にしていきたいと思います.

昨年はフルサイズ一眼のラインナップが一気に増えた(Nikon D800/D800E, D600, Canon EOS 5D markIII, 6D など)特異な年だったのですが,欲しい欲しい病が再発中です.何度も店頭で手に取って感触を確かめてはいるのですが,やはり大きくて重いのが難点.昨年秋に発売された小型軽量版は魅力ありますが,オートフォーカスがいまいちなので,悩みはますます深まっています.メカをいじる喜びとしては,フルサイズ一眼に勝るものはありませんね.今年末か来年前半には Pentax からフルサイズ一眼が出るはずなのですが,なかなかそこまで待てません.人生は短いので.
フルサイズ一眼に広角レンズを付けてアジアやヨーロッパの古い街の路地を撮り歩くのが私の夢です.
それでは皆様,今年が良い年であることを祈っています.長いおしゃべりにお付き合いいただきまして,ありがとうございました.
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