景気循環はコックリさんである
景気が良くなったり悪くなったりすることを繰り返すいわゆる "景気循環" はなぜ起こるのか?昔から経済学の主要論点の一つだったと思いますが,基礎的な知識は上記の Wikipedia の記事を読んでいただくこととして,ここでは人間行動学的な視点から一つの仮説を述べてみたいと思います.
私が失業しかかって求職活動をしていた時にお世話になった方から言われたことがあります.当時は日本全体が不動産バブル崩壊の真っただ中だったのですが,その人が言うには,
景気とは,景色の気分なんだよというものでした.つまり景色を見て,その景色から感じる気分のようなもの,それが景気だというのです.景色とはすなわち経済活動全般のことなのでしょうが,それを見たときにどのように感じるのか,それが景気だということのようです.
これは非常に主観的な景気の定義なのですが,景気とは本来主観的なものでしょう.景色を見たときに,これからモノがどんどん売れる,だから設備投資をして材料を仕入れて,モノをドンドン作って売りまくるんだ,と感じることが出来れば,これは好景気ということになります.逆に,モノを作っても在庫が増えるばかりなので,これからは材料の仕入れを絞り,工場では人手と生産量を減らして在庫がはけるのを待とうと感じるのであれば,これは不景気ということになります.
非常に重要なことは,この気分を周囲の人たちと共有できるかどうかが景況感を形成できるかどうかにつながり,それが最終的には景気そのものを構成するということではないでしょうか?経済活動に携わっている大部分の人たちが,周囲の人たちの気分を肌で感じながら,これからは景気が良くなりそうだ,だってこの人たちもそう感じて先手を打とうとしているのだから,という気分になれば,それは好景気につながります.逆もまたしかりです.
このとき客観的かつ合理的な判断ができる第三者がいて "いやいやそんなことはない,だってこの経済指標によれば・・・" と言えるのが伝統的な経済学が仮定する "経済人" だったのですが,その仮定には限界があることがわかってきました.私たちは周囲の人たちの判断や行動に影響されやすく,特に,他人に出し抜かれたり置いて行かれることを恐れて付和雷同する一面があります.しかもそれが無意識に行われることも少なくありません.
これが本質的な働きをするゲームがあります.コックリさんです.数人が一枚の硬貨の上に軽く指を乗せて,全員の無意識の合力として硬貨を動かし,あたかも未知の霊が硬貨を動かして預言を行うかのように思わせるものです.私も小学生のころ,これにハマった女の子たちが預言を聞いては一喜一憂する様子を間近に見たことがあります.(予言ではありません,念のため)
景気の変動もこれに近いのではないでしょうか?巨大な人間集団が動かす経済活動は非常に複雑なネットワークを形成しており,全体が足並みをそろえて特定の方向を向くことは無いと思われますが,その変動の最も本質的な部分は,私たち一人一人が周囲の動向を気にしながら日々行動した結果の合成ベクトルがどちらの方向を向いているかで決定されているはずです.景気循環には様々な周期の変動があることが知られています.在庫や設備投資の循環が変動の基礎的動機になっているとは言え,それを実際に補強し決定づけているのは私たちの気分であると言えるのではないでしょうか?
そういう意味では,景気変動はコックリさんであると言い切ってしまっても,さほど大きな間違いではないように思いますが,いかがでしょうか?
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