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2016/04/10

天和二年の菩薩像

先週末に花見のついでに撮った写真がピンボケばかりだったので,今週はは気合を入れて撮りなおしました.先週のリベンジです.まずはお寺の境内に置かれているこの観音像.如意輪観音かと思いきや,そうではなくて,弥勒菩薩の半跏思惟像というのでしょうか?立膝で頬に手を当てて首を傾げている姿は優雅です.

Aroundtorinji_apr2016_0105m

碑文はかなり読みにくいのですが,読めるところだけを書き連ねると “天和二年■戌天四月六日” と読めます.天和二年は西暦1682年のことで,干支は壬戌(みずのえいぬ).従って,碑文の読みづらい部分はおそらく壬ではないかと想像していますが,どうでしょうか?

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今から330年以上も前のころで,江戸も中期に差し掛かり,時の将軍は徳川綱吉.この年の旧暦12月には “お七火事” と呼ばれる天和の大火が江戸の町を襲っています.八百屋の娘お七はこの火事で焼け出され,避難先で寺の小姓と恋仲になります.店が再建されて家に戻るのですが,再び小姓と会えるようにと自宅に放火してその咎で火あぶりの刑になる,というお話です.こう考えていくと,この古い石像一つを見ているだけで,いろいろな思いが頭を巡ってきます.

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» 緑英童子って誰? [望湖庵日記 Lakeside Diary]
これも同じお寺の境内に置かれている童子の像.緑英童子 とはっきりと書かれている碑文が目立ちますが,これがどのような童子なのかよくわかりません. 日付は寛政十二年庚申夏五(?)月二十一日と読めるので,西暦ではちょうど1,800年のこと.江戸も後期で,実はこの年に伊能忠敬が蝦夷地を初めて測量しています.へぇ,そのころの石像... [続きを読む]

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