映画・テレビ

2025/06/06

D-day に寄せて

5 月は一度も投稿できませんでした.なんやかやと用事が立てこみ,またネタになるような写真が撮れなかったのが最大の理由です.船上から海鳥を見るツアーから帰って来てようやく落ち着けるようになってきましたが,今月はまだ野鳥の調査が 2 回,探鳥会のガイドが 1 回残っています.

さて 1944 年 6 月 6 日 火曜日は,第 2 次大戦の一大イベント,ノルマンディー上陸作戦ことオーヴァーロード作戦が決行された日です.私は子供のころ,映画館で史上最大の作戦を観て,それから 2000 年ころにプライベート・ラインをビデオで観て,さらにさまざまなドキュメンタリー作品を観て,この軍事イベントに対する興味を持ち続けてきました.

メディアでは前線での派手な戦闘に焦点が当てられがちなのですが,私が興味を掻き立てられたのは,これほどの大作戦をどのように立案し,計画し,最終的に決行するに至ったのか,いわば裏方たちの,恐らくは凄まじいまでの試行錯誤と労力です.連合国軍はすなわち多国籍軍でした.イギリスやアメリカの兵士は言うに及ばず,フランス,カナダ,ポーランドの兵士たちも多数加わっています.どのように兵士たちを集め,訓練し,必要な物資を調達し,必要な場所に運搬したのか.気が遠くなるほどの規模だったはずです.軍の官僚組織や仕事を請け負った企業がどうにかこうにか仕事を回していったのだろうと思います.

1944_normandylstA LCVP (Landing Craft, Vehicle, Personnel) from the U.S. Coast Guard-manned USS Samuel Chase disembarks troops of the U.S. Army's First Division on the morning of June 6, 1944 (D-Day) at Omaha Beach.  Public domain; official U.S. Coast Guard photograph

しかし当然のことながら数多くの失敗や見込み違いがありました.イギリスの海岸で最終的な上陸演習(タイガー演習)を行っているときに,連絡の不備から味方同士が相打ちし,さらにドイツ軍の攻撃を受けて 900 人以上のアメリカ兵が死亡しました.また上陸作戦のために開発され期待が寄せられた水陸両用戦車D.D. シャーマンは海岸にたどり着く前に沈むものが多く,あまり役に立たちませんでした.プライベート・ライアンでも「戦車は沖で沈みました」と報告を受けるシーンがあります.

80g45720National Museum of the U.S. Navy - https://www.history.navy.mil/content/history/museums/nmusn/explore/photography/wwii/wwii-europe/operation-overlord/invasion-normandy/us-navy-ships/80-g-45720.html

しかし何といっても私が最も心を痛めたのは,この作戦のために死傷したフランス国民のことです.以下,Wikipedia の記事によりますが,この作戦に先立って連合国はドイツ占領下のフランスやベルギーの都市に対しては大規模な事前爆撃を行い,この準備段階の空襲だけでノルマンディーを中心として住民 15,000 人が死亡し,19,000 人が重傷を負ったそうです.そして上陸直前の空襲によって 24 時間以内に死んだノルマンディーの住民は 3,000 人にのぼり,これはアメリカ軍の死者の 2 倍以上.そして最終的に連合国の空爆によって死亡したフランス国民の総数は 70,000 人に達したそうです.

416thbga20ddayUnited States Army Air Force - United States Army Air Force via National Archives
A-20 from the 416th Bomb Group making a bomb run on D-Day, 6 June 1944

当初からチャーチルは空襲の対象をドイツ軍の基地や弾薬の集積所に限るべきだと主張していたのですが,この要請をアイゼンハワールーズベルトは拒否し,都市爆撃を行ったのでした.爆撃対象はしょせん他国であり,かつ爆撃強度を高めた方が自国の兵士の命が助かると考えたのでしょう.

自由を勝ち取るための戦いとはいえ,救助され解放されるべき人たちがこのように多数殺されなければならなかったのか?もっと他の戦術は考えられなかったのか?今でも疑問が残ります.戦闘員たる兵士たちよりもはるかに多くの住民が犠牲となって解放されたノルマンディー.誰のため何のための解放だったのか?それで本当に良かったのか?軍の司令官たちの良心は痛まなかったのか?

戦後作られた映画でこの点に触れたものはほとんどありません.映画パリは燃えているかの中でも言及はありませんでした.フランス解放に貢献したレジスタンスと英米軍を賞賛する映画ですから,シナリオ段階でボツになったでしょうし,たとえセリフに書き込まれたとしても,当時のド・ゴール政権の厳しい検閲に引っかかって出せなかったでしょう.私がこのような事実を知ったのは最近数年間でいくつかのドキュメンタリー作品を観たからです.

さてこのオーヴァーロード作戦でヨーロッパ全土が解放されたわけではもちろんありません.連合軍は 3 か月後に敢行されたマーケット・ガーデン作戦ではドイツ軍の強い反撃を受け多大な損害を出して撤退し,オランダは解放できたものの,ドイツ本土への侵攻は半年後になってしまいました.この作戦は後に遠すぎた橋バンド・オブ・ブラザーズに描かれました.ノルマンディーへの上陸後,事がトントン拍子に進んだわけでは決してないのです.そしてその間,前線の兵士たちだけではなく戦場となった地域の住民たちの受難も続いたのです.

世界中の戦争や紛争ができるだけ早く終息することを願います.

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2025/04/02

やはり名作「夜の大捜査線」

夜の大捜査線 [Blu-ray] - シドニー・ポワチエ (出演),ロッド・スタイガー (出演),ノーマン・ジュイソン (監督)

数年ぶりで観ましたが,やはり名作は名作です.出演者たちがみなとても上手い.シドニー・ポワティエの表情がインテリぶって硬いのが気になりますが,他の白人俳優たちがみないいのです.南部の黒人差別が強い地域の白人たちを非常に上手く演じています.演技指導が相当入ったのかもしれませんが,撮影が 1960 年代という公民権運動が盛り上がっていた時期だったことも影響しているのかもしれません.

役者たちをクローズアップで撮るとき,特に逆光気味のときの照明がきつめなのが今となっては気になるのですが,当時はこれが普通の撮影ルーチンだったのでしょう.「熱いトタン屋根の猫」を観るとそれがよくわかります.一方,夜のシーンはすでに高感度フィルムがあったせいか実に自然です.

この映画の中には何カ所か名シーンと呼ばれるものがあるのですが,まず最初はタイトルロールの長距離列車のシーン,次は警察署長のギレスビーがシドニー・ポワティエ演じるティッブスを駅のプラットフォームで引き留めるシーン,そして最後は帰っていくティッブスをギレスビーが駅で見送るシーンです.ギレスビー役のスタイガーの演技は素晴らしいもので,アカデミー賞の主演男優賞をとったのもうなずけます.これらのシーンから,当時はアメリカ国内でも長距離旅行は鉄道が一般的だったことがわかります.ビジネスマンが飛行機で出張するようになったのはもう少し後の時代です.

ちなみに,シドニー・ポワティエの有名な出演映画,いつも心に太陽を招かねざる客,そしてこの夜の大捜査線はすべて 1967 年の作品.これは偶然なのでしょうかね?私は中学生の時に地元の映画館で,いつも心に太陽をを観て感動したことを覚えています.

この映画の音楽はすべてクインシー・ジョーンズの作で,タイトル曲はレイ・チャールズが歌っています・・・とくると,USA for Africa が思い出されるのですが,案の定 USA for Africa の収録スタジオにはシドニー・ポワティエが招待客として顔を出していました.絆は深いのですね.

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2024/06/29

やっぱり「ミッドナイト・ラン」

ミッドナイト・ラン ユニバーサル 思い出の復刻版 ブルーレイ [Blu-ray] - ロバート・デ・ニーロ(出演),チャールズ・グローディン(出演)

2019 年 2 月にこのブログで紹介したのですが,非常に良い印象があったので再びこの映画を観てしまいました.プロットを追って観ていくと,見た記憶がないシーンが次々と現れ,あれ?俺は一体何を見ていたんだろうと情けなくなってきました.

話の筋や印象は前回書いた通りなので省略して,今回は個々の役者について書いてみたいと思います.主演のデ・ニーロはアメリカの男性俳優の中でもトップクラスの実績を持つ人ですが,キャリアの比較的前半,1987年の「アンタッチャブル」(アル・カポネ役)と1989年の「俺たちは天使じゃない」の間に撮ったフィルムがこの作品です.すでに1974年の「ゴッド・ファーザー PART II」でアカデミー賞主演男優賞,1976年の「タクシー・ドライバー」でアカデミー主演男優賞ノミネートの栄誉を得ていた彼ですが,ミッドナイト・ランの役柄は非常に気に入っていたようで,自分の作品の中でも最も好きな作品の一つと言っているそうです.

この作品はロードムービーであると同時にコメディでもあるのですが,中でもFBI捜査官アロンゾ・モーズリーを演じた黒人俳優ヤフェット・コットーの演技が素晴らしかった.デ・ニーロに何度も騙されコケにされながらも,最後は彼との取引に応じ,マフィアの大物の逮捕に成功します.威厳を装いながらどこか間の抜けた役を見事に演じました.

デ・ニーロ同様のバウンティ・ハンターのライバルとして登場し,抜きつ抜かれつを繰り返しながらもどこか冴えない中年男マービンを演じたのはジョン・アシュトンです.この人はこの映画よりもビバリーヒルズ・コップの巡査部長ジョン・タガート役のほうが有名でしょう.ビバリーヒルズ.コップ2を撮った翌年の作品が本作です.主役のデ・ニーロに何度も痛めつけられる可哀そうな役ですが,めげないところにいい味を出しています.

マフィアのボスを演じたデニス・ファリーナは何とシカゴ市警察に18年間勤務したという異色の経歴.悪役にしてはアクのない演技を見せましたが,元警察官がマフィアの役をやるのは大変面白いです.

そして最後はデ・ニーロと旅を共にする逃亡犯でインテリ会計士のデューク役を演じたチャールズ・グローディン.この人はアクターズ・スタジオのメンバーだったそうで,これはデ・ニーロも同じ.インテリ会計士の役柄を見事にこなすとともに,デ・ニーロと次第に友情を交わすようになっていく心理を大変うまく演じました.酒場で紙幣を奪う演技は即興だったそうですが,さすがはアクターズ・スタジオの卒業生たちです.

この作品は全体として軽快なテンポで話が展開していくシナリオが非常によくできており,また音楽もそれを大いに盛り立ててくれます.安心して観ていられるアクションコメディとして最高レベル.まだ観ていないあなた,これを観ずして天国に行くのは損です.ぜひ観てからにしましょう.

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2023/11/19

クライ・マッチョ

クライ・マッチョクリント・イーストウッド(監督)

約一年ぶりで映画のレビュー.イーストウッドの映画はいろいろ見てきたのですが,主演作品となるとこれがおそらく最後のものになるかもしれません.御年91歳で監督・主演した作品です.

映画の企画としてはかなり古く,75年に出版された同名タイトルの小説が原作です.元ロデオスターの老人が主人公.仕事の雇い主に頼まれて,メキシコに住む彼の息子をアメリカに連れて帰る,そのロードムービーになっています.当初はシュワルツネッガーが主演俳優に選ばれたのですが,当人のスキャンダルで製作が中止され,2020年にイーストウッド本人が主演も務めることが発表され,COVID-19 のさなかに撮影が行われました.

実際に観て思ったのは,やはり高齢のイーストウッドはもう演技に耐えられないということです.セリフ回しは問題ありませんが,動きは良くありません.馬に乗るシーンもあるのですが,引きのショットばかり.女性とダンスを楽しむ姿もかろうじて,という感じです.グラン・トリノでは非常に良い演技だったのですが,あれから13年の歳月が残酷に流れたのだと思わざるをえません.一方,若者に人生の教訓をとつとつと話し,マッチョの意味を考えさせる演技はとても良いです.この作品のハイライトの一つでしょう.

一方,息子役の俳優ですが,私に言わせればちょっと良い子すぎてアクが無さすぎです.これはちょっとキャスティングを間違ったのではないでしょうか?もう少しクセの強い若手俳優が良かったと思います.子役のころのディカプリオとかリバー・フェニックスとか.まあこういう逸材はいつも見つかるわけではありませんが.

ドライブ中の主人公たちを迎え入れかくまう役の女優ナタリア・トラヴェン.派手な顔立ちで微笑が絶えない魅力的な人ですが,ちょっと場違いな感じのキャスティングだったと思います.掃き溜めにツルですね.もう少しリアルで殺伐とした演出にしたほうが私の好みには合っていますが,こういう救世主がいたほうが安心して観ていられるのは確か.

全編を通してラテン音楽がとてもよかった.非常に端正なラテンで,これに合わせてダンスをするシーンは非常にしっくりします.キューバ音楽もそうですが,端正なラテン音楽には非常に惹かれます.

かなり長いエンドロールがあるのですが,私はエンドロールもきっちり最後まで観るタイプです.前半は非常に美しいデザインで驚かされました.このような美しいエンドロールは初めて見ました.ただしエンドロールで使われていたカントリー音楽は私の好みには合わず,ちょっと残念.最後までラテンで通してほしかった.

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2022/10/10

少年の一途な心に感動

友達のうちはどこ?アッバス・キアロスタミ(監督)

もうかなり古い 1987 年のイラン映画.監督の名前は有名な映画「桜桃の味」を観て知っていたのですが,この監督が有名になるきっかけとなった作品です.舞台はイラン北部,カスピ海近くのコケールという寒村.

小学校の先生は宿題に対して大変厳しく,正式なノートに書いてこないと認めてもらえません.宿題をノートではない紙に書いてきたモハマッドはみんなの前でひどく叱られ,もう一度同じことをやったら退学だと言い渡されてしまいます.隣に座っていたアハマッドはそのやり取りを神妙に聞いていたのですが,家に帰って宿題をやろうとすると,なんと間違ってモハマッドのノートを持ち帰ってきたことに気づきます.

さあ大変,このままではモハマッドは退学になってしまいます.でもモハマッドが住んでいるのは隣の村.子供の足では近くはありません.それでもアハマッドは,母親や祖父や様々な大人たちの理解のなさに挫けず,モハマッドの家を捜し続けます.この少年の一途な誠意が大変感動的.この子役の少年の表情は素晴らしいです.

この映画は職業俳優を使わずに撮ったそうで,道理で大人たちの演技はぎこちないものですが,しかし少年たちの演技がそれを補って余りあります.画づくりも曇天か夜景の彩度を抑えた色彩で,詩情がかきたてられます.

ところが,途中からあれぇ?と感じました.どうも既視感がある.Déjà Vu なのです.そうそう,張芸謀(チャン・イーモウ)の「あの子を探して」と雰囲気が似ているなぁ?どれどれ,ははぁ「あの子を探して」は 1999 年の映画なので,ひょっとすると張芸謀はこの映画を観てインスピレーションを得たのではないでしょうか?私の直感にすぎませんが,しかしこれら二つの映画にはいくつも共通点があるように思います.

今年観た映画の中でもベストスリーに入る作品.複数の映画祭で賞を得ただけのことはあります.ちなみに,このコケールという山村は撮影の数年後に地震で壊滅して今は廃墟になってしまったそうです.

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2022/06/14

タチアオイが咲き始めた

梅雨に入って蒸し暑い日が続くようになったころに咲き始めるのがタチアオイ.背丈は 3 m ほどにもなり,そこに大ぶりの花が下から上へと多数咲き上がっていくので大変見ごたえがあり,最近よく見かけるようになりました.

日本には古い時代に中国からもたらされたと言われており,万葉集にも源氏物語にも書き込まれています.

Summeraroundhome_jun2022_0212m

上の写真は花びらが逆光で透けて見えるところを撮ってみました.

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2022/06/13

手練れの役者と制作陣による秀作

ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書 [Blu-ray] - メリル・ストリープ (出演),トム・ハンクス(出演),スティーブン・スティルバーグ(監督)

久々に,ほぼ2年ぶりに映画のレビューです.と思って見返してみると,おや?前回レビューしたのもトム・ハンクス主演だった.あれ?どういう相性?

ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書」は比較的最近の映画なのですが,舞台はベトナム戦争が続いていた 1970 年代初めころ.ロバート・レッドフォードとダスティン・ホフマンの主演で大ヒットした「大統領の陰謀」が題材にした事件の前段となるアメリカ政治の大スキャンダル.時代背景はデイヴィッド・ハルバースタムの名著「ベスト・アンド・ブライテスト」を読むとよくわかるのですが,詳しいことは省略.

この映画でのマクナマラ国防長官は,現実の政治力学に押し流されながらも良心の呵責に耐え切れず,後世の批判を仰ぐために秘密報告書をスタッフに書かせます.お蔵入りしていた報告書がスタッフによって新聞社に流出して大騒ぎになるというお話です.報告書が暴いた数々の欺瞞の別の側面については,昔書いた「マクナマラ回顧録」の書評をご覧ください.

そしてこの秘密文書をまずニューヨーク・タイムズがすっぱ抜きます.ニクソン政権は驚愕してそれをつぶそうと躍起になります.ちょうどそのころ,ワシントン DC の一地方紙であったワシントン・ポストも何とかしてスキャンダルを追いかけたいと考え,秘密文書の流出元との接触に成功.そして新聞の一面を飾ろうとするのとですが,そこに様々な横やりが入ってきます.そのときの新聞社の社主は元オーナーの娘で,不慮の死を遂げた後継社主の妻.新聞社はちょうど株式を上場した直後で,家族経営から株式会社に変化しようとしていたまさにその時.投資家たちからも厳しい目で見られており,彼女は非常に重い決断を迫られます.

シナリオは非常によくできていて観るものを飽きさせません.しかも映像は見事の一言.ここはさすがスピルバーグです.新聞社のオフィス,高級レストラン,裁判所,主人公たちの自宅など,舞台装置もセットも実に自然でリアル.何の変哲もないシーンの照明もよく考え抜かれたものです.

そして,手練れの役者が演じる主人公たちもこれまた文句のつけようがありません.トム・ハンクスはベテランのジャーナリストの心意気を非常にうまく演じました.白眉はもちろん悩める社主を演じたメリル・ストリープですが,マーガレット・サッチャーを演じきった経験がある彼女にとっては,今回の役はむしろ簡単だったかも.「訛りの女王」との別称もあるくらいなのですが,今回はややイギリス訛りのある英語を披露しています.彼ら以外にも優秀な俳優たちが色を添えています.

新聞社が雇った法律事務所の弁護士たちが秘密報告書の報道を懸命に止めようとした一方で,いざ決断が下され出版された後の最高裁の審判では,彼ら弁護士たちが報道の自由を守るべく弁舌を振るいます.法曹家たちのプロフェッショナリズムが良く描かれていたと思います.これを演じた俳優にも好感が持てます.

面白かったのは,新聞社の印刷工場での作業.版面を作る過程が短時間の早送りのように紹介されるのですが,タイプを打つとその活字が自動的に拾われて組版できるような装置があったのですね.また大きな見出しは直接鉛を鋳造して作っています.これには少々驚きました.映画撮影当時にも残っていたとは.そして新聞第一面の組版が出来上がってチェックする場面は,今となっては懐かしいでしょう.

スピルバーグとハンクスたちはこの映画を非常に短期間で撮り終えたようです.彼らのような経験豊かなプロにとっては,すべてのツボはわかっているので,そのツボさえ事前におさえておけば,撮るのはきっと簡単だったのでしょう.

この映画は政治対ジャーナリズムという枠組みで語られることが多いと思いますが,私はどちらかというと,難しい決断を迫られたリーダーが,どのような心理的葛藤を経て最終決断を下すのか,その一例を示したものとして楽しむほうが良いのでは?と思いました.予想される非常に大きなリスク,そのリスクを十分に評価しながらも,より重要な価値あるものも忘れず,最後の決断を下さなければならいというリーダーの仕事は,どのような組織でも,そして家庭や個人においても,たびたび直面しなければならないものです.

そして,その決断の価値は,結果ではなくて決断を下すプロセスにある,ということを教えてくれたのが,籠屋邦夫さんの「意思決定の理論と技法―未来の可能性を最大化する」という本でした.私は籠屋さんが講師となった研修を受けると同時にこの本を読んだおかげで,決断を下すときの重苦しさから解放された気がしたものです.

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2021/08/06

日本のスポーツ報道の異常

オリンピックもそろそろ終わり.どのチャネルも連日オリンピック報道で忙しそうなのですが,もともとスポーツ観戦に興味のない私は,疎外感を味わいながら,録り溜めたドキュメンタリー番組などを観ております.

ただメディアがちょっと異常ではないかと思ったのは,どのチャネルでも日本人選手が出ていない競技は無視されていること.出場していても入賞の見込みがない競技は中継はおろか報道すらされていないことです.例えば,陸上競技のほとんどのフィールド競技,カヌー,自転車ロードレース,馬術,ホッケー,近代五種,ボート,射撃,水球,テコンドー,などなど.

1964 年の東京オリンピックの際には,国民の啓蒙の意味合いもあったのでしょうが,もう少しまんべんなく各競技が中継,報道されていたと思います.それに比べると今回のメディアは非常に偏った扱いをしていると感じます.

一方,オリンピックよりも格上の大会があって,毎シーズン超一流選手どうしのプレイを観戦できるサッカー,ラグビー,テニス,野球,ゴルフなどを,日本人選手が出ているという理由で長時間中継するのは退屈で時間と電波の無駄.そもそも超一流選手がほとんど出場していないので,競技に華がありません.

私はセイリングのレースが中継されることに興味があったのですが,ちらっとニュースに出た程度でした.有料のスポーツチャネルでは中継されていたのでしょうか?ヨットレースの中継は技術的に難しいのですが,アメリカズカップの中継を見ると,血沸き肉躍る格闘技の趣があります.今回の大会ではセイリングは 10 種目もあるので,そのすべてを中継することは期待しませんが,ウィンドサーフィンくらいは中継してもよかったのでは?

日本人選手不在のプレイを無視するこの傾向が日本のメディアで始まったのは,松井秀喜ヤンキーズに入団したころに遡ります.メディアが視聴率稼ぎで易きに流れたのです.私の知人が「日本のスポーツ報道のスタイルが変わってしまった」と嘆いていたことを思い出します.野茂英雄の時代には,野茂自身の活躍だけではなく,チーム全体,あるいはリーグ全体の報道が行われていました.それを通じてアメリカのプロ野球全体を知る良い機会だったのです.

この傾向がさらにひどくなったのは大谷翔平の活躍が目覚ましくなったここ 1 年ほど.彼の一挙手一投足を詳細に報じる割には,チームメイトや対戦相手のプレイなどはほぼ無視されています.そもそも現在では日本人選手が出ていない MLB の試合が中継されることはありません.昔はそうでもなかったし,今でも有料のスポーツチャネルを契約すれば別なのでしょうが.

スポーツ観戦の楽しみは,自国の選手だけに興味があって観るものではないはずです.世界の超一流クラスの選手たちのプレイを観ることは,日本人選手がいるいないに関係なく,興奮させられ,感嘆させられ,味わい深く,意味あるものです.もう少し幅のあるスポーツ報道をしてもらいたいものだと思います.

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2020/08/30

フライトシミュレーターマニア必見

ハドソン川の奇跡 [Blu-ray] - トム・ハンクス(出演),アーロン・エッカート(出演), クリント・イーストウッド(監督)

久々に映画のレビューです.ひところより観る本数は減ったものの,今でも年に50本程度は観ているのですが,ここでレビューしたくなるほどの作品にはなかなかお目にかかれないので,レビューの回数が極端に減っていました.

今回は最近の有名な実話を映画化したもので,CG 使ったアクション,映画のために購入した実機と,実際に救助に参加した人たちを動員したリアルな救出劇はあるものの,全体としては主人公の心理的葛藤を描いた密室劇に近い演出と言ってよいでしょう.ストーリーは爽快に終わり,かつエンドロールに素敵な仕掛けがしてあるのが見どころです.

真冬のニューヨーク.ラガーディア空港を離陸直後の旅客機エアバス A320-214カナダガンの群れに遭遇し,バードストライクによって両エンジンとも損傷・停止.ラガーディア空港に引き返そうとしますが,高度が低く,推力を失ったエンジンで滑空を続けていては着陸できないととっさに判断した機長は,ハドソン川への不時着水を試み,これが見事成功します.

一躍英雄になったものの,安全運輸委員会は,空港に引き返せたのに機長が誤った判断をして乗客と機体を危険に晒したと憶測し,コンピュータシミュレーションや,飛行シミュレーターでの着陸成功の結果を引っ提げてネチネチと攻めてきます.さあ,どうなる?

最近の実話なので主人公の風貌も実話の本人に近づけてあるようで,主演のトム・ハンクスが白髪のパイロットだったのには驚きました.映画前半は,事故直後にホテルに缶詰めにされた機長の心理的葛藤と過去の回顧が交互に繰り返されるのですが,この部分はあまり良くありません.ストーリーラインをもっとすっきりさせてほしかった.

後半は大人数を前にした公聴会ですが,ここが大変面白いこの映画のハイライトです.エアバス社のシミュレーターで何度も着陸を試みさせます.このシミュレーターは本物だと思いますが,最近のジェット旅客機のコックピット,フライトコントロールシステム,パイロット支援システムがどのようになっているのか,よくわかります.高度が下がりすぎると "Pull up" と妙に冷静な声で何度も警告が出るのが印象的でした.

最後はパイロットの直感が正しかったことが証明されて,めでたしとなるのですが,実話では安全運輸委員会が早々にパイロットの判断を支持していたそうです.これはパイロットや航空機に関わる人口が非常の多いアメリカならでは,現場のことを良く知っている人たちが調査に関わっていたということでしょう.実際35秒の遅延時間を入れたシミュレーターフライトが行われて,飛行場に引き返していたら墜落,それも下手をすると市街地に激突という結論を得ていたそうです.これは劇中でもそのまま再現されました.

エンドロールが大変素敵です.事故機は博物館に移送されたのですが,それを記念して当時のパイロット,客室乗務員,そして乗客たちが機体の前で同窓会パーティをやっている様子が音声付きで披露されます.ここが本当に素晴らしい.監督クリント・イーストウッドの粋な演出です.

この映画を見ていると,発売されたばかりの新版の Microsoft Flight Simulator が欲しくなってしまいました.20年ほど前の旧版では,セスナをよたよたと着陸させるだけで精一杯だったのですが.

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2019/08/06

イギリスの神髄を守る者たちの心のひだ

日の名残り [AmazonDVDコレクション] [Blu-ray] - アンソニー・ホプキンス(出演),エマ・トンプソン(出演)

重厚な作品です.第1次世界大戦と第2次世界大戦のはざまの時期に,ドイツに融和的なイギリスの貴族に使えた執事と使用人たちの物語.日本にはこのような職種に就いている人は極めて少数なのでなじみが薄く,執事や使用人たちの仕事の内容や日常生活を垣間見るという意味でも楽しめました.

原作者は日系イギリス人のカズオ・イシグロ.つい最近ノーベル文学賞を受賞したということで,作品の評価も高まったことでしょう.

物語は回想形式で始まります.第2次世界大戦後に,かつて仕えた貴族の屋敷が売りに出され,それをアメリカ人の富豪が買って暮らし始めます.新しい主人への仕え方に悩んでいた時,主人から休暇をもらい,かつての女中頭(ハウスキーパー)を訪ねるという風に物語は始まります.そこから1930年代の回想シーンへ話が飛んでいきます.

イギリス貴族の暮らしぶりを忠実に描いているのだと思いますが,その重厚さがよく表現されています.特に賓客を招いて外交問題を議論する会議を行うときの舞台裏を描くことで,貴族の館を運営するとはどういうことかがよく理解できるようになっています.これは原作のおかげか?それとも演出のおかげか?仕える主人への忠誠,執事としての矜持と誇り,豪華なお屋敷と調度品,古き良き時代のイギリスの神髄を見ることができます.本当にこういう世界があったのですね.

使用人たちも人間なので,それぞれの事情があり,考え方があり,人生があります.それを主人の側とどのように折り合いをつけていくのか,みな頭を悩ませながら生きていかなければなりません.しかしこの執事は,自らの内面を顔に出すことはなく,仕事の同僚である自分の父親が屋敷内で息を引き取ったときですら接客を優先したのでした.淡い恋心を抱いていた女中頭から他の男と結婚するので辞めたいといわれた時にも,儀礼的な挨拶をするのみ.しかし内心どうだったのだろうと観る者が思わずにはいられない,そういう演技や演出がこの映画の見どころです.

主演のアンソニー・ホプキンズはまさに適役.この重厚な執事の役を見事に演じました.仕事への献身ぶりを全身で演じたところは見事としか言いようがありません.メソッド演技法に批判的なホプキンズが,それによらずにどのような演技を行えるのか,この作品をじっくりと鑑賞するとよいでしょう.また,この人の演技は表情の作り方が独特ですが,同等レベルの演者としてはメソッド演技法の実現者であるジャック・ニコルソンがあげられると思います.この二人の演技を比較してみることは非常に興味深いです.

エマ・トンプソンも大変良かった.気配りができてちょっと気の強いベテランの女中頭を大変うまく演じました.「いつか晴れた日に」で共演したケイト・ウィンスレットが出演者に入っていてもよかったと思いますが,ちょっと贅沢すぎるか.若いころのヒュー・グラントが軽めの脇役で出ているのですが,よく観ないと本人とはわかりませんでした.あとジュディ・デンチが出てくれば,もう言うことはなかったですね.

映画が大変良かったので,原作を読んでみようと思っています.

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