工学・エンジニアリング

2025/06/07

鳥の飛行力学 入門 第 2 版

3月にこのブログ上でリリースした「鳥の飛行力学 入門」ですが,改訂第2版をリリースしました.

改訂の目玉は,新しく独立した章を設けて「回復飛行と引き起こし」について詳しく記述したことです.回復飛行に関する従来の論文では直線飛行から円弧に移行する軌道を前提にして,鳥の体に加わる慣性加速度を議論することが多かったのですが,これは加速度の不連続性を生むため現実にはあり得ません.現実の航空機や鳥はもっと滑らかな曲線を描くはずなので,今回はクロソイド曲線と円弧をつなぐ軌道をモデルにしてシミュレーションを行った結果を説明しました.ハヤブサが 6.0 G の加速度の下で引き起こしできるかを論じています.

Clothoid_curve

それ以外にも章立ての順序を変更したり,多数の箇所で語句を書き換えたり,後注の内容を充実させたりしました.初版に比べると言い回しも(多少)改善されたのではないかと思います.

Inertial_acceleration

この本は自分の趣味として書いたもので,販売して金銭を得ることを考えていません.そのため私の OneDrive に置いておきますので,ここから自由にダウンロードしてください.コピーや転載も自由です.

質問は巻末に書いたアドレスへのメールで受け付けますが,素早い応答は期待しないでください.ある程度質問の数がまとまったら Web 上で質疑応答をやれるといいなと思っています.

| | | コメント (0)

2025/03/15

「鳥の飛行力学 入門」書きました

日ごろ鳥が飛ぶ姿を見てはその飛行制御に感嘆しているのですが,鳥が飛べる秘密を解明したい,鳥のように空を飛びたいという思いは世界共通です.古くから鳥を模倣して空を飛ぶ試みが続けられ,ようやく20世紀初頭になって有人動力飛行が実現したことはご存じの通り.

一方,鳥やコウモリや昆虫など生物の飛行そのものの研究も進んでおり,次々に興味深い事実が明らかにされつつあります.その中でも鳥の飛行は一つの典型として古くから研究され,かなりの程度体系化が進んでいます.私は一昨年から昨年にかけて,英国 Bristol 大学の故 Pennucuick 教授が書いた “Modelling the Flying Bird” という教科書を通読して,現代の研究水準を学びました.

しかし物理学や工学を専門としない読者にとってその内容を消化するのは敷居が高いと感じ,また数式も頭ごなしに書いてあるだけで導出過程は省略されていることが多く,独学で読み進むのは難しいと思いました.

一時はこの本の翻訳出版を考え,半年以上かけて翻訳したのち,あちこちの出版社に打診したのですが,あまりにニッチな分野であり予想販売部数が少なすぎる,翻訳の権利処理にも手間と費用がかかるという理由で断られてしまいました.

Ch3_image_20250315112401

それでは,この本を下敷きにしつつも,基本的な部分に範囲を絞って自分なりに書き下ろしてみようと思い,3か月程度で完成させたのが今回紹介する「鳥の飛行力学 入門」です.全体で 120 ページほどの小冊子ですが,鳥の飛行の原理を力学的パワーを主軸として解説したものです.対象とする読者は,高校卒業程度の数学と物理学の知識を持ち,鳥や飛行機が飛ぶ仕組みを物理法則に基づいて学びたい,一般向けの比喩や雰囲気でごまかした説明には満足できないという人たちです.また模型飛行機,グライダー,人力飛行機などのスカイスポーツの愛好者にもお勧めできます.なぜなら鳥も飛行機も同じ物理法則に従って飛んでいるからです.

そのため運動量保存則などの基本原理に従って数式を導出し,さらにその数式を現実の鳥の形態データに当てはめて計算する例を多く作りました.またそれらをできるだけグラフにして視覚的に理解しやすいように努めました.また大きな特徴は印刷出版することを前提としていないことです.PDF 閲覧ソフトで読むことを想定し,たくさんのハイパーリンクを本の内外に張っていますので,図や数式などを参照するのがとても楽です.

この本は自分の趣味として書いたもので,販売して金銭を得ることを考えていません.そのため私の OneDrive に置いておきますので,ここから自由にダウンロードしてください.コピーや転載も自由です.

質問は巻末に書いたアドレスへのメールで受け付けますが,素早い応答は期待しないでください.ある程度質問の数がまとまったら Web 上で質疑応答をやれるといいなと思っています.

| | | コメント (2)

2024/11/19

Joby はアルバトロス号の夢を見るか?

先々週あたりに,ドイツのスタートアップ企業 Lilium GmbH が経営破綻したというニュースが入ってきました.それから一週間ほど遅れて日本の Web でもこのニュースが見られるようになりました.Lilium はいわゆる空飛ぶタクシー,すなわち少人数が乗れる垂直離着陸が可能な固定翼機を開発してきたスタートアップ企業です.

仕事がらこの手の技術やニュースにはアンテナを張っているのですが,実際には投資詐欺まがいの泡沫スタートアップが多い中で,ほとんど唯一と言っていいくらいまじめな会社だっただけに非常に残念です.どこかアラブの大金持ちがポンとお金を出して買い取って開発を継続してくれないものかと思います.

もう一つのニュースはアメリカのスタートアップ Joby Aviation 社にトヨタが追加出資したという話です.今日はこの Joby 社が開発中の空飛ぶタクシー Joby S4 が本当に飛べるのか,簡単に見積もってみたいと思います.Joby についてはこの記事が詳しい.

1082pxjoby_aviation_s4_experimental_evto 写真は Wikipedia の記事より引用


eVTOL では離着陸時には必ずホヴァリングが必要となりますが,この見積りではホヴァリングのみを扱います.Joby S4 は固定翼を持っているので,巡航時は固定翼の揚力に助けられ,モーターはそれほど大きなパワーは必要としないはずですが,ホヴァリング時には全重量をプロペラの推力のみで支えなければならないので,プロペラやモーターはそれに合わせた最大性能を持つ必要があります.

離着陸時のホヴァリングにどの程度の時間を要するかは明確ではありません.ここでは離着陸で合計 5 分間のホヴァリングを行うことにします.使用するパラメータは以下の通りです.

質量 m  1815 kg モーターと電池を含むと仮定
ローター数 n 6枚  
ローター径 d 2.34 m 平面図から読み取り
空気密度 rho 1.225 kg/m^3 海面値
重力加速度 g 9.807 m/s^2 海面値

6 個のローターの総面積 S_d は,

S_d = 6 * pi * d^2 / 4 = 25.80 m^2

ホヴァリング時に必要な誘導パワーは,

P_ind = [ (m * g)^3 / (2 * rho * S_d) ]^(1/2) = 298.7 kW

合計 5 分間のホヴァリングに必要な力学的エネルギーは,

E_ind = 5 * 60 * P_ind = 89.61 MJ = 24.89 kWh

ファン効率をひいき目に見て 70 %,モーター効率をこれもひいき目に見て 95%,ホヴァリングに許される放電深度を多めにとって電池容量の 25% とすると,必要な電池容量は,

E_ind / (0.70 * 0.95 * 0.25) = 149.7 kWh

ただし 5 分間で電池容量の 25% を放電するので,放電レートは 3C とかなり大きくなることに注意する必要があります.

電極活物質のエネルギー密度を,これもひいき目にとって 200 Wh/kg とすると,必要な電極活物質の質量は

149.7 * 10^3 / 200 = 748.6 kg

電池モジュールの質量ベースの実装効率を,これもひいき目に見て 70% とすると,電池モジュールの質量は

748.6 / 0.70 = 1069 kg

という結果になります.つまり,電池だけで 1069 kg の質量を占めることになります.全機質量(ペイロード含まず)が 1815 kg なので,残りの 746 kg で機体 (airframe) とモーターやインバーターを備えなければなりません.モーターは 1 台あたり最低でも

P_ind / (6 * 0.70) = 71.1 kW

の軸出力が無ければなりませんが,そのようなモーターの質量は少なくとも 50 kg はするはずです.するとモーターだけで 300 kg を使うことになります.残りの 446 kg でインバーターと機体を作ることができるかというと,私は非常に悲観的です.そしてこれはペイロードがない場合の話です.

この機体の定員はパイロットを含めて5人です.人と荷物の質量で一人当たり 80 kg は必要だと思われるので,ペイロードは 400 kg 程度のはずです.すると上記の見積もりよりもさらに大きな誘導パワーが必要になるので,より大きな質量の電池モジュールやモーターが必要になり,ホヴァリングだけで電池容量の少なくない部分を使い切ってしまいます.

結論として,私はこの機体が乗客を乗せて航続距離 241 km を飛ぶのは非常に難しいのではないかと評価せざるを得ません.空港から市街地までのような短距離の輸送に限定されるのではないでしょうか?むしろそのほうが空飛ぶタクシーという名にふさわしいと思います.

なおこの記事のタイトルのアルバトロス号というのは,ジュール・ベルヌの小説「征服者ロビュール」(私が少年時代に読んだ時のタイトルは「空飛ぶ戦艦」)に出てくる巨大な気球型戦艦で,上昇下降用に37本の垂直軸二重反転プロペラ,前進後退用に艦首と艦尾にに1基ずつの水平軸プロペラを持った,今風に言えば巨大なマルチコプターです.今日の空飛ぶタクシーのような概念はすでに140年ほど前にあったのです.

Hubschraubermuseum_bckeburg_2010_0019

写真は WIkiedia フランス語版より

| | | コメント (0)

2023/08/31

大型翼竜は飛べたのか?

暑かった 8 月は今日で終わり,あすからは暑い 9 月が始まります.もういい加減最高気温が 30 度を切ってほしいと思うのですが,今日も容赦なく 35 度を越えるようです.ただし明け方の気温はこのところ低くなりつつあり,25 度を切るようになってきましたので,もう少しの頑張りと信じたいです.

さて突然ですが大型の翼竜は飛べたのでしょうか?大型翼竜とは,プテラノドンケツァルコアトルスという,とてつもなく大きな翼を持った爬虫類たちのことです.

下の論文から引用した,ワタリアホウドリ (A),プテラノドン (B),ケツァルコアトルス (C) の平面形の比較図を示します.右下には縮尺をそろえた比較図 (D) がありますが,現生鳥類最大のワタリアホウドリと比べていかに巨大な動物たちだったかがわかります.

Witton MP, Habib MB (2010) On the Size and Flight Diversity of Giant Pterosaurs, the Use of Birds as Pterosaur Analogues and Comments on Pterosaur Flightlessness. PLoS ONE 5(11): e13982. doi:10.1371/journal.pone.0013982

Planforms_of_soaring_animals

プテラノドンの翼開長は 7-9 m もあるのですが,体重は 20 kg 程度しかなく,羽ばたき飛行するだけの筋肉はなかったので滑翔するだけだったという説が有力のようです.海上であればアホウドリミズナギドリのようにダイナミックソアリングによって長時間効率よく滑翔できたのではないか?という説もあります.

一方ケツァルコアトルスに至っては,論争はあるものの翼開長は 11-12 m はあったと言われています.体重についても論争があり,飛べるためには 70 kg が上限だという説と,いやいや現生鳥類からの類推は正しくなくて, 200 kg 程度はあったはずで,少なくとも滑翔は可能,羽ばたき飛行もできたのではないかという説もあります.

非常に面白いですね.で,このケツァルコアトルスを検索すると,大きな頭を持った巨大な翼竜が首をぴんと伸ばして飛んでいる想像図にたくさん出くわすのですが,これはダウト!

平面形からわかる通り首は非常に長く,その先端に大きな頭骨と嘴(くちばし)が付いています.ということは,この翼竜の重心は翼に働く空気力の中心(風圧中心)よりもだいぶ前に位置することになってしまい,これでは飛行の縦の安定性が取れません.前につんのめってしまいます.

何を言いたいかというと,縦の安定性を取るためには,ケツァルコアトルスは首を縮めて,サギ類のようにして飛んでいたはずなのです.さらにそのような姿勢でダイナミックソアリングができたかはかなり疑問.海面上の接地境界層はせいぜい 30 m 程度だと思うので,この巨体で境界層の外縁から水面すれすれまでの 30 m を頻繁に垂直方向に移動するのは難しかったのではないか?あるいは境界層外縁を超えて上空 100 m くらいまで上昇してから下降していたかも,しかしそれではダイナミックソアリングの効率はかなり低かったのではないか?

などと思っているところです.平面形が載っている論文を読み始めたところなので,何か追加・修正があればポストしたいと思います.

| | | コメント (0)

2023/08/24

ベクレル becquerel とは?

現在,福島第一原子力発電所(通称 1F)では冷却水を多核種除去設備 (ALPS) で処理し,それでも除去しきれないトリチウム(三重水素)を含む水を放出し始めたところです.

トリチウムは宇宙線と大気の相互作用で自然発生するほかに原子力発電所でも生成され,それは希釈したうえで海水に放出されています.これは欧米も中国も韓国も同じ.このトリチウムの量を記述するときに使われるのがベクレル (becquerel) という単位.私は不勉強でよく知らなかったため,この機会に改めて調べてみました.

トリチウムは,陽子 1 個と中性子 2 個が結合した原子核と,電子 1 個から成る原子のこと.普通の水素に比べると中性子 2 個分の質量が加わるため 3 倍の質量を持ちます.外殻電子は 1 個で水素と同じなので化学的性質は水素とほとんど同じ.つまり 3 倍重い水素と思えばよいでしょう.

ところがこの原子は不安定で,半減期 12.32 年で自然崩壊します.つまり 1 kg のトリチウムがあったとすると, 12.32 年後までに 0.5 kg はベータ崩壊して,ヘリウム 3 と電子と反電子ニュートリノになります.このときの電子のエネルギーは 5.7 keV と低いので,人間の皮膚を通過できないほどです.

さて,ベクレルです.ベクレルとは放射能の強さを表す単位ですが,原子核が崩壊して放射線を出すので,それが 1 秒間に何回起きるのかで定義されています.単位はベクレル (Bq) とされていますが,定義により 1/s を言い換えているにすぎません.

毎秒崩壊する原子核の数 = 定数×崩壊していない原子核の数

という法則があり,かつこの定数は

ln(2) / 半減期

と計算できるので,放射能の強さは

( ln(2) / 半減期 ) * 崩壊していない原子核の数

と求まります.

例えば,1 mol (6.02 x 10^23 個) のトリチウムの放射能は,

ln(2) / (12.32 * 365 * 24 * 60 * 60) * (6.02 x 10^23) = 1.07 x 10^15 = 1.07 PBq

ということになります.ペタ (P) などという SI 接頭語が出てくるのがベクレルの特徴です.

Wikipedia のトリチウム水の記事によれば,1F のタンク群に貯められているトリチウムの総量は 8.60 x 10^14 Bq らしいので,これから逆算してトリチウムのモル数を求めると 0.804 mol ということになります.これはトリチウム水という分子量が 20 の水として存在するので,その総質量は約 16 g です.

ようやく数量的な感覚がつかめてきました.この 16 g のトリチウム水を何十年かかけて海に放出するわけです.ごく薄い濃度のトリチウム水をさらに希釈して放出するので,全然大したことはないと考えがちですが,過去に事故で何人か亡くなっているような放射性物質であることに変わりはなく,欧米や日本ではトリチウム水の水質基準が定められています.1F では WHO の飲料水基準 10^4 Bq/L の約 1/7 に希釈して放出することになっているそうです.ちなみに一般的な原子力発電所からは,1.0 から 2.0 x 10^12 Bq / 年程度のトリチウム水を海洋に放出しているそうです.

風評被害が発生しないことを祈りますが,私は福島産の魚をこれからも食べていこうと思っています.

| | | コメント (0)

2023/08/04

ハヤブサは大気密度で押し返される

今日も酷暑なので朝からエアコンの効いた部屋に引きこもっています.昨日ポストしたハヤブサの降下速度に関する記事を読み返してみて,あらためて粗い近似での推定しか行っていないことに気づき,もう少し精度の良い計算をしようと思い立ちました.ヒマなので.

高空から自由落下する質点の運動方程式を解けばよいのですが,残念ながら空気の抵抗は速度の 2 乗に比例するので非線形の微分方程式になります.かつ昨日の記事では定数としていた重力加速度や空気密度は高度の関数なので,これらの値も降下するにしたがって変化していきます.

解析的に解くことは諦めて数値的に積分することにしました.標準大気表を用いて Excel 上で落下後 0.05 秒ごとの重力加速度と空気の抗力から加速度を求め,それを積分して速度,さらにそれを積分して高度が分かります.循環参照が生じるのを避けて計算は 1 次精度の陽解法としましたが,時間刻みを小さくとっているので誤差は十分に小さいと思います.そして結果をグラフにしてみると意外なことがわかりました.

Falcon_alt_vel

グラフの横軸は降下開始からの時間,高度は灰色の曲線でその目盛は左の縦軸,速度はオレンジの曲線で右の縦軸が目盛です.降下する速度の符号を負にとっています.

ハヤブサは高度 5,200 m から降下しながら速度を増していくのですが,終端速度というものは存在せず,降下開始から 25.9 秒後に高度 3,050 m で最高速度 116.7 m/s に達した後は,むしろ減速しながら降下していくのです.地表に到達したときの速度は 103 m/s にまで減速しています.

こうなるのは降下するにつれて空気の密度がどんどん大きくなっていくからです.横軸を降下時間にとった空気密度のグラフを示しますが,これを見ると地表付近では降下開始時より 7 割も大きくなっているのです.空気抵抗は空気密度に比例するので,これでは減速するのは当然です.

Air_density

空気密度や重力加速度が一定であれば,非線形ながらこの微分方程式には解析解があって,速度は時間に関する双極正接 tanh の形になります.時間を大きくすれば速度は一定値に漸近し,終端速度が求まります.しかし空気密度が上記のように大きく変化するので,これは正しいとは言えなくなります.

ということで,ハヤブサは降下当初は薄い空気の中を勢いよく加速していくのですが,やがて濃くなっていく空気に押し返されて減速を始める,それもまだかなり高い 3,000 m でそうなるということが分かりました.昨日は恐るべしハヤブサと思ったのですが,今日は恐るべし大気という感じです.高空からスカイダイヴする人は経験上知っているのではないかな?

| | | コメント (0)

2023/08/03

ハヤブサはマッハ 0.3 で飛べるか?

暑いので冷房の効いた部屋に引きこもる生活を続けているのですが,YouTube を渉猟していたら “ Top 5 Fastest Birds in the World” という子供向けのタイトルがあったので思わず観てしまいました.そしていくつか疑問が・・・

第 2 位はなんとイヌワシだそうです.しかもその最高速度は 320 km/h!これホントかなあ?アマツバメより速い.水平飛行でこの速度を出すのはイヌワシには無理なので,翼をたたんで急降下した場合の話なのでしょうし,体格が大きくて “体重/正面面積” の比が大きいから,終端速度が大きくなるのはわかりますが,落下距離がかなり必要なはず.

第 1 位はハヤブサです.こちらは話に尾ひれが付いていて,これまでに計測された最高速度は 389 km/h !これはギネス記録です.高度 17,000 ft (5,200 m) でセスナ 172 スカイホーク から放たれ,尾羽に取り付けられた高度記録計によって記録されたものです.このとき,ハヤブサが追うべき餌としてルアーを落とし,飼い主とカメラマンも同時にダイヴしたそうです.これは National Geographic のドキュメンタリー “Terminal Velocity(終端速度)” として 1999 年に撮られ,2002年に放映されました.こちらをご覧ください.

ちょっと疑問なのは,これは飛行速度というよりは番組のタイトル通り落下の「終端速度」というべきものです.さらに,高空なので大気密度は低いため,終端速度は大きくなりやすい.ちょっと簡単に見積もってみましょう.

このハヤブサ,Frightful という名の 6 歳のメス.難しいのは代表面積の取りかたです.彼女の頭胴長は 41 cm,翼開長は 104 cm なのですが,翼をたたんで急降下している状況なので正面面積が欲しいです.翼をたたんだときの正面面積として,まず直径 15 ㎝ の円の面積を使うことにします.これは 0.0177 m^2 です.次に彼女の抗力計数 CD を小さめに見積もって 0.1 としましょう.終端速度に近づいたであろう高度として 2,000 m をとると,その高度での大気密度は 1.007 kg/m^3 です.そこを 389 km/h = 108 m/s で飛んだ場合の抗力は,

(1/2) * ρ * v^2 * S * CD = (1/2) * 1.007 * 108^2 * 0.0177 * 0.1 = 10.4 N

一方彼女の体重は 0.998 kg ですが,高度記録計が 0.113 kg 加わるので,合計の重力は 10.9 N となり,ほぼ完全に釣り合います.うーむ我ながら見事な見積りです.

この高度での音速はだいたい 332 m/s なのでマッハ数は 0.33 程度となり,空気の圧縮性をそろそろ考慮しなければならない領域に到達していますが,体の周囲のどこをとっても衝撃波が発生することはないので,さほどの支障はないでしょう.支障があるとすれば自由落下から回復するときの空気力.これは抗力係数で言えば 1.0 のオーダーになるので,最大で 100 N 程度になりえます.これを翼の筋肉で支えられるか?まあ羽ばたきのことを考えると大丈夫なのでしょう.

ということで,ハヤブサがマッハ 0.3 程度で飛べることはほぼ確実です.素晴らしいですね.

| | | コメント (0)

2023/07/16

BOP付けずに掘ったのかよ?

北海道蘭越町地熱発電用の試掘井を掘削中に熱水が暴噴.まずいことに濃度の高いヒ素が含まれていたので近隣の土壌や水系を汚染中です.

やらかしたのは三井石油開発というれっきとした石油開発企業なので,数千メートルの試掘井も掘れる試掘のプロのはず.それが地熱地帯を甘く見たのか,浅いうちは大丈夫だろうとBOP (Blowout Preventor) 防噴装置を付けずに掘っちゃったらしいのです.これは業務上の過失ですね.地元への補償が必要でしょう.

地熱地帯でのドリリングでは岩盤の割れ目が多く逸泥のリスクが高いので,そちらにばかり気が行っちゃったのか?いやいやプロなんだからそんなはずはない,地熱地帯での水蒸気暴噴のリスクはよく分かっていたはず.逸泥すると静水圧が低下して沸点が下がるから暴噴しやすくなるのです.それなのにBOPなしで掘ったのはなぜ?坑内冷却はしていたのかな?硫化水素対策は?

水蒸気暴噴の一例

暴噴を止めるのに数週間もかかるらしいのですが,その間にヒ素の汚染は進行します.社外のプロの手は借りないのかな?暴噴を止めるプロは世界中にいるはずですが.

ヒ素が出てきたのは不運でした.まあ日本では少ないですが,世界的には地下水にヒ素が含まれているところはあり,例えばバングラデシュでは井戸水はそのままでは飲めないそうです.しかし,まあヒ素についても予備調査はしなかったのでしょうかね?

これで地熱発電に対する社会の認識が低下するのが残念.もっとプロらしい仕事をしてほしかった.

| | | コメント (2)

2023/07/08

ITシステムは例外処理が9割

マイナンバーに関する誤登録やシステムの不具合に関して,システムを作る側の視点から面白い記事を見つけました.

「愚かなのはマイナカード関連だけじゃない、企業でも「バカヨケ」なきシステムの恐怖」 (木村岳史,日経ビジネス)

要は,ユーザーが様々なミスをすることを前提にシステムは設計・構築されなければならない,というエンジニアリングでは当たり前のことを述べています.工学の言葉で言うと,定格外使用に対するフェイルセーフの作り込みということになります.今日では身の回りのほとんどすべての電気製品はマイコンで制御されていますが,マイコンのプログラムにはこのフェイルセーフのためのプログラムが書き込まれているはずです.

実際自分で簡単なプログラムを書いてみるとわかりますが,実用的にしようとすればするほど,自分以外の他人にも使ってもらおうとすればするほど,誤入力や操作ミスをしたときに安全に元の状態に戻す,間違いを表示して再入力を促す,などのためのプログラム量が増大していきます.

Sourceg6f078a01d_1280

ElchinatorによるPixabayからの画像

私がこのサイトで公開しているソーティング・フィルター Refsort/Ruby でも,ソースコードの 7 割から 8 割程度は例外処理のためのものです.マイナンバーのようなシステムだと,ソースコードのおそらく9割以上が例外処理に割かれていると容易に想像できます.つまり SE やプログラマーは,めったに遭遇することはないどんな誤入力や誤操作があっても,システムが間違いを犯さないようにシステム全体を設計し実装することが求められます.

これは現実には大変なことで,100% の完璧さを求めることは無理なのですが,完璧に近づく努力を怠ることは犯罪に近いことです.自動車や航空機,医療機器などのことを考えれば容易に納得いくでしょう.

一方,ユーザーの入力ミスを防げなかったマイナンバーのシステムですが,ユーザーがどれほど間違っていたかというと,健康保険組合が 7,500 万人の被保険者の情報を登録して,誤入力があったのはわずか 1,000 件のオーダー.誤り率は 0.001% という驚異的な正確さだったのです.このような高い正確度で作業をしたにも関わらずメディアや野党はそれを騒ぎ立てるのですが,この程度の誤り率で制度自体の存続を議論するようでは,定量的思考能力が欠けているのでしょう.

ただし,誤入力を誤入力と見抜き,そういう入力をさせないようにシステムが作り込まれていなかったことは当然責められるべきです.日経ビジネスの記事もそこに論点を置いています.健康保険組合がこのような正確さで仕事をしていなかった場合を想像すると,背筋がぞっとしますね.

しかし日本では,一つの申請を行うのに住所や氏名などの基本情報を異なる書類に何度も(しかも手書きで)記入させるやり方が今でも健在です.そのあたりの発想自体から変えていかなければ,バカヨケできるシステムの構築は難しいでしょう.

| | | コメント (2)

2023/06/04

五月雨を集めて速し

当地でも大雨が降ったようです.他人事のように言うのは,ちょうど雨が降っている間は長時間船の上にいて,関東地方を遠く離れていたからです.昨夜帰宅してみても自宅のある住宅団地には異変はなかったので大したことはないと思っていたのですが,朝になって窓から遠くを見渡してみると,田んぼがかなり広い面積冠水していました.

お昼ごろ散歩に出たときに,それを確かめるべく冠水しているあたりに立ち寄ってみると,用水路が満水状態で川に排水できておらず,そのために田んぼが冠水しているのだということがわかりました.さっそくカルガモたちが遊びに来ていました.田んぼの中を通る道路では乗用車が水没していましたので,それなりの水深はあるようです.

Earlysummeraroundhome_jun2023_0006m

用水路が注ぎ込む川はすぐ近くの大きな沼に注いでいるのですが,この沼からはポンプ機場を経てより大きな川に排水されるようになっています.しかしこのポンプ機場の能力は大きくありません. 2 台あるポンプの合計の排水能力は 30 m^3/s なのですが,この 2 台を 48 時間フル稼働させても沼の水位は 1m しか下げることができません.実際には上流から水が流入し続けるので,水位の低下はより少ない値になります.

Earlysummeraroundhome_jun2023_0010m

こうなる理由は,この沼に注ぎ込む水系に対して 50 年に一度という大雨を想定すると,排水能力は 130 m^3/s 必要なのに,その 23% の能力しか与えられていない暫定的なものだからです.特に今の時期は周囲の水田の取水を考慮して沼の水位を高めに保持していたはずで,大雨に備えて予防的に水位を下げておくということはできなかったのだろうと思います.

この周辺の田んぼは田植えが終わって間もないところが多かったので,背の低い苗は完全に水没しています.沼がどの程度速やかに排水されるのかわかりませんが,一刻も早く排水が進むことを祈っています.

参考文献 牛久沼の氾濫 水谷武司

| | | コメント (0)