歴史

2018/12/17

けっこう古い石仏

みぞれでも降るのではないかと思えるほど寒くどんよりした空の下,運動不足解消のために散歩に出かけました.最近は自宅周辺の歩いたことのない地域を重点的に開発しているのですが,昨日も今まで一度も足を踏み入れたことのない地域を歩いてみました.

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かなり昔に開発されたと思しき住宅団地の中を歩いていると,ふと大きな伽藍が見えるではありませんか.山門らしきものもあります.あれ?こんなところにお寺があったのかな?と思って行ってみると,これが結構古い曹洞宗のお寺で,山門の両側には立派な阿吽仁王像がこちらを睨んでいます.

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私が目を留めたのは,山門入り口の傍らにある小さな石像.一見このあたりに典型的な観音像に見えますが,よく見ると男性の仏像のようです.碑文を読んでみると「寛文十二壬子(みずのえね)十月吉日上町念佛施主」とありますから,寛文十二年,壬子の年,1672年の奉納であることがわかります.右側の碑文に「新建立大日??」とあるので,何かの建物を新たに建てたときに奉納されたものでしょう.

さて,1672年は徳川家綱の時代.江戸時代の前期と言っても良いと思います.延宝の前なので,私が結構古いと思って紹介したこの観音像よりもさらに古いことになります.今から350年ほども前に作られたものなのですが,状態は非常に良く,風化や地衣類の張り付きもないのですが,現状野ざらしなので,何らかの覆いか囲いを作って差し上げてはどうかと思いました.

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2017/04/16

奉獣

直前の記事と同じ稲荷神社の境内に,祠の前に向かい合って対になった狐の石像が置かれています.狐と言うには耳が尖っておらず,だいぶ丸みを帯びた頭をしていて,これでは狐だかなんだかよくわからない獣ですが,神の使いである狐の像を奉納することを “奉獣” と言うようで,稲荷神社の狐の像にはよくこの言葉が書かれています.

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尤も,奉獣とは別に狐に限らないわけで,狛犬や,牛などの像も神社でよく見かけますので,稲荷神社の専売特許ではないと思います.

損耗の具合や地衣類の付き方などからかなり古いものと思われ,周囲の観音像や地蔵像の古さから推測するに,少なくとも200年程度は経っているのではないかと思います.

子供のころは,薄暗い稲荷神社で狐の像を見ると,非常に怖かったことを思い出します.

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久しぶりの子安地蔵

自宅近くの目立たない稲荷神社の境内にはいくつかの石像が置かれています.今からちょうど3年前に紹介した子安地蔵を,新調したカメラで撮ってみました.光線の具合が前回とは異なるので,微妙な陰影などは再現できていないのですが,撮像素子のフォーマットが大きくなった分は良くなっているのではないかと思います.

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前回も書いた通り,このお地蔵さんの碑文によると “文政四年巳年九月” に奉納された石像です.西暦では1821年,シーボルトが来日したのが1823年8月(文政六年七月ころ)です(前回の記事で文政五年と書いたのは間違いでした)ので,幕末に向けて世の中がざわつき始めたころと言ってもよいと思います.今から約200年前のことです.

おそらく子供の健やかな成長を祈って奉納されたものだと思いますが,お地蔵さんの表情が実に良いですね.

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2016/04/10

緑英童子って誰?

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これも同じお寺の境内に置かれている童子の像.“緑英童子” とはっきりと書かれている碑文が目立ちますが,これがどのような童子なのかよくわかりません.

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日付は寛政十二年庚申夏五(?)月二十一日と読めるので,西暦ではちょうど1,800年のこと.江戸も後期で,実はこの年に伊能忠敬蝦夷地を初めて測量しています.へぇ,そのころの石像ですか?今から200年以上も前に作られたものです.

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天和二年の菩薩像

先週末に花見のついでに撮った写真がピンボケばかりだったので,今週はは気合を入れて撮りなおしました.先週のリベンジです.まずはお寺の境内に置かれているこの観音像.如意輪観音かと思いきや,そうではなくて,弥勒菩薩の半跏思惟像というのでしょうか?立膝で頬に手を当てて首を傾げている姿は優雅です.

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碑文はかなり読みにくいのですが,読めるところだけを書き連ねると “天和二年■戌天四月六日” と読めます.天和二年は西暦1682年のことで,干支は壬戌(みずのえいぬ).従って,碑文の読みづらい部分はおそらく壬ではないかと想像していますが,どうでしょうか?

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今から330年以上も前のころで,江戸も中期に差し掛かり,時の将軍は徳川綱吉.この年の旧暦12月には “お七火事” と呼ばれる天和の大火が江戸の町を襲っています.八百屋の娘お七はこの火事で焼け出され,避難先で寺の小姓と恋仲になります.店が再建されて家に戻るのですが,再び小姓と会えるようにと自宅に放火してその咎で火あぶりの刑になる,というお話です.こう考えていくと,この古い石像一つを見ているだけで,いろいろな思いが頭を巡ってきます.

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