D-day に寄せて
5 月は一度も投稿できませんでした.なんやかやと用事が立てこみ,またネタになるような写真が撮れなかったのが最大の理由です.船上から海鳥を見るツアーから帰って来てようやく落ち着けるようになってきましたが,今月はまだ野鳥の調査が 2 回,探鳥会のガイドが 1 回残っています.
さて 1944 年 6 月 6 日 火曜日は,第 2 次大戦の一大イベント,ノルマンディー上陸作戦ことオーヴァーロード作戦が決行された日です.私は子供のころ,映画館で史上最大の作戦を観て,それから 2000 年ころにプライベート・ラインをビデオで観て,さらにさまざまなドキュメンタリー作品を観て,この軍事イベントに対する興味を持ち続けてきました.
メディアでは前線での派手な戦闘に焦点が当てられがちなのですが,私が興味を掻き立てられたのは,これほどの大作戦をどのように立案し,計画し,最終的に決行するに至ったのか,いわば裏方たちの,恐らくは凄まじいまでの試行錯誤と労力です.連合国軍はすなわち多国籍軍でした.イギリスやアメリカの兵士は言うに及ばず,フランス,カナダ,ポーランドの兵士たちも多数加わっています.どのように兵士たちを集め,訓練し,必要な物資を調達し,必要な場所に運搬したのか.気が遠くなるほどの規模だったはずです.軍の官僚組織や仕事を請け負った企業がどうにかこうにか仕事を回していったのだろうと思います.
A LCVP (Landing Craft, Vehicle, Personnel) from the U.S. Coast Guard-manned USS Samuel Chase disembarks troops of the U.S. Army's First Division on the morning of June 6, 1944 (D-Day) at Omaha Beach. Public domain; official U.S. Coast Guard photograph
しかし当然のことながら数多くの失敗や見込み違いがありました.イギリスの海岸で最終的な上陸演習(タイガー演習)を行っているときに,連絡の不備から味方同士が相打ちし,さらにドイツ軍の攻撃を受けて 900 人以上のアメリカ兵が死亡しました.また上陸作戦のために開発され期待が寄せられた水陸両用戦車D.D. シャーマンは海岸にたどり着く前に沈むものが多く,あまり役に立たちませんでした.プライベート・ライアンでも「戦車は沖で沈みました」と報告を受けるシーンがあります.
National Museum of the U.S. Navy - https://www.history.navy.mil/content/history/museums/nmusn/explore/photography/wwii/wwii-europe/operation-overlord/invasion-normandy/us-navy-ships/80-g-45720.html
しかし何といっても私が最も心を痛めたのは,この作戦のために死傷したフランス国民のことです.以下,Wikipedia の記事によりますが,この作戦に先立って連合国はドイツ占領下のフランスやベルギーの都市に対しては大規模な事前爆撃を行い,この準備段階の空襲だけでノルマンディーを中心として住民 15,000 人が死亡し,19,000 人が重傷を負ったそうです.そして上陸直前の空襲によって 24 時間以内に死んだノルマンディーの住民は 3,000 人にのぼり,これはアメリカ軍の死者の 2 倍以上.そして最終的に連合国の空爆によって死亡したフランス国民の総数は 70,000 人に達したそうです.
United States Army Air Force - United States Army Air Force via National Archives
A-20 from the 416th Bomb Group making a bomb run on D-Day, 6 June 1944
当初からチャーチルは空襲の対象をドイツ軍の基地や弾薬の集積所に限るべきだと主張していたのですが,この要請をアイゼンハワーやルーズベルトは拒否し,都市爆撃を行ったのでした.爆撃対象はしょせん他国であり,かつ爆撃強度を高めた方が自国の兵士の命が助かると考えたのでしょう.
自由を勝ち取るための戦いとはいえ,救助され解放されるべき人たちがこのように多数殺されなければならなかったのか?もっと他の戦術は考えられなかったのか?今でも疑問が残ります.戦闘員たる兵士たちよりもはるかに多くの住民が犠牲となって解放されたノルマンディー.誰のため何のための解放だったのか?それで本当に良かったのか?軍の司令官たちの良心は痛まなかったのか?
戦後作られた映画でこの点に触れたものはほとんどありません.映画パリは燃えているかの中でも言及はありませんでした.フランス解放に貢献したレジスタンスと英米軍を賞賛する映画ですから,シナリオ段階でボツになったでしょうし,たとえセリフに書き込まれたとしても,当時のド・ゴール政権の厳しい検閲に引っかかって出せなかったでしょう.私がこのような事実を知ったのは最近数年間でいくつかのドキュメンタリー作品を観たからです.
さてこのオーヴァーロード作戦でヨーロッパ全土が解放されたわけではもちろんありません.連合軍は 3 か月後に敢行されたマーケット・ガーデン作戦ではドイツ軍の強い反撃を受け多大な損害を出して撤退し,オランダは解放できたものの,ドイツ本土への侵攻は半年後になってしまいました.この作戦は後に遠すぎた橋やバンド・オブ・ブラザーズに描かれました.ノルマンディーへの上陸後,事がトントン拍子に進んだわけでは決してないのです.そしてその間,前線の兵士たちだけではなく戦場となった地域の住民たちの受難も続いたのです.
世界中の戦争や紛争ができるだけ早く終息することを願います.
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