ここ半年ばかり,新型コロナウィルスこと SARS-CoV-2 に関する報道があふれていて,中でも感染の有無を判定するための PCR 検査に注目が集まっています.これまでメディアも一般の人も PCR というものがどういうものか,全く知る機会が無かったことに加えて,この種の検査につきものの統計的過誤に対する理解が(いまだに)低いため,狂想曲のようになっています.
PCR をはじめとする遺伝子増幅法には,今から15年ほど前に仕事で関わったことがあるのですが,その話は置いておいて,今回は PCR 検査結果の解釈について議論したいと思います.キーワードは母集団とその事前確率です.
PCR(ここでは RT-PCR のこと)検査の品質は,プライマーの選択や塩基長,試薬メーカー,温度サイクルのパラメーター,バイオクリーンルームの運用,検体の採取法や取扱いの巧拙などで変わるのですが,ここでは感度 70 %,特異度 99.9 % とします.
Belova59によるPixabayからの画像
まず,パンデミックの初期段階で全国民を無作為抽出して 10 万人の被験者を選び,PCR 検査をしたとします.このとき感染率はまだ低いでしょうから,全国民の 0.1 % が感染していると仮定しましょう.つまり母集団は全国民,事前確率は 0.1 % です.
次にパンデミックが進行した段階で,発熱などの症状がある人だけを対象に再び 10 万人を対象にして PCR 検査を行ったとします.このときの事前確率はそれなりに高いはずなので,例えば 10 % としてみます.すると検査結果は以下のようになります.
事前確率 |
0.1% |
10% |
被験者数 |
100,000 |
100,000 |
感染者数 |
100 |
10,000 |
真陽性者数 |
70 |
7,000 |
偽陽性者数 |
100 |
90 |
陽性者合計 |
170 |
7,090 |
適合率 |
41.2 % |
98.7 % |
真陰性者数 |
99,800 |
89,910 |
偽陰性者数 |
30 |
3,000 |
陰性者合計 |
99,830 |
92,910 |
偽陰性率 |
0.03 % |
3.23 % |
まず注目していただきたいのは適合率です.これは陽性と判定された人のうち,本当に感染者である人の割合です.1 番目の検査でこれが 41.2% しかないということは,「あなたは陽性です」と言われたとしても,本当に感染している確率は 4 割しかないことになります.従ってこのような段階で陽性者をすべて隔離したり入院させたりすべきかどうか,そのために医療資源がひっ迫するのであれば非常に判断が難しいでしょう.現実には陽性者に再検査,再々検査を受けてもらうことになると思います.ところが 2 番目の検査では適合率は 98.7 % ですから「あなたは陽性です」と言われたらまずほとんど確実に感染していると言えるので,直ちに必要な医療措置を取る必要があります.
次に注目していただきたいのは最後の項目の偽陰性率です.これは陰性と判定された人の中に紛れ込んでいる感染者の割合です.1 番目の検査では 0.03 % に過ぎないので,「あなたは陰性です」と言われたらほぼ確実に感染していないと言えますから,陰性者は無罪放免,場合によっては「陰性証明(非感染証明ではない!)」なるものを出してもよいでしょう.しかし 2 番目の検査では偽陰性率は 3.23 % もあるので,100 人の陰性者の中には実は 3 人は感染者がいることになります.これではとても陰性証明など出せないでしょう.
このように,全く同一の検査を行っても,母集団の事前確率によって結果の解釈を大きく変えなければなりません.問題は,感染症の場合,事前確率は事前にはわからない点です.これは事後に推定するしかありませんので,パンデミックの進行途中では手探りで複数の事前確率を想定しながら慎重な解釈を行うしかありません.ここに専門家の間でも大きな意見の差異が生まれる原因があります.
特に母集団の選び方は重要です.日本は PCR 検査資源に乏しいため,できるだけ事前確率が高い母集団(有症状者や夜の街関係者)を選んで検査を行う傾向にあります.すると適合率は高くなるので医療措置を取るかどうかの判断はしやすくなります.しかし同時に偽陰性率も高くなるので,陰性者には複数回の再検査を行って検査資源を消費することにもなっています.
一方,巷には無症状者にも幅広く検査を行う意見も強いのですが,これは事前確率が低い母集団で検査しろと言っているわけなので,適合率が低くなり,陽性者への再検査の必要性が高まり,ただでさえ乏しい検査資源がさらにひっ迫します.このあたりの一般への説明は大変難しいので省略しがちですが,私はワイドショーなどの時間が取れる番組では丁寧に説明すべきと思います.もちろん検査資源が膨大にあれば話は別です.しかし RNA の検出が簡単ではないことはあまり知られていないのではないでしょうか?
武漢では SARS-CoV-2 に対する PCR 検査の特異度は 99.997 %,オーストラリアでは 99.97 % あったという報告もあります.試しに武漢の数値を入れてみると,事前確率が 0.1 % であっても適合率は 95.9 % という高い値になるので,陽性判定は非常に楽になります.しかし偽陰性率はほとんど変わらず 3.23 % のままです.偽陰性率を下げるには感度を大幅に,例えば 95 % 以上に上げるしかないのですが,これは現在の遺伝子増幅法ではなかなか難しいようです.
当座の私の結論は,今からでも遅くないので PCR 検査資源を拡充すること,特に民間の臨床検査センターの質と量を向上させること.さらにこれまで行ってきたすべての検査データを一元管理できる体制を整え,事後の検証を厳密に行うことです.検査と医療の間をつなぐには再検査を増やして統計的過誤を減らすしかありませんので,検査資源の拡充と統計値の随時更新が最も本質的です.
一般社団法人「日本疫学会」のこのページに Q and A が掲載されていますので,参考にしてください.
最近のコメント